カルマの理解が、自分自身に、自分の未来に責任のある人にする
月1回のヴェーダーンタ勉強会、スワミ・ダヤーナンダジ(私の先生、スワミ・チェータナーナンダジの先生)のテレビ番組「スピリチュアル・ヘリテージ」の日本語訳をみんなで読んでいます。
私個人の振り返りと、整理のために、ブログに思ったことを書いていこうと思います。
前回のお話を簡単に振り返ります。
前回は、祈りと、神に祈る人・帰依者についてでした。
私たちは日々直面している妨げを取り除いてもらうために祈ります。
私たちには見えない妨げです。
「何かを与えてください」という祈りとは違うんですね。
そして、神に祈る人、帰依者の4つの段階のお話がありました。
困難の中にいる時に祈る人が、アールタハ
目に見えない変動要因をコントロールして、好ましい結果を得るために祈る帰依者、アールタ・アールティ
神しかいない、ということが事実が、その神を知りたいと言う願望を持つ帰依者、ジッジニャース・バクタ
神しかいない、というこの宇宙観を知り遂げた帰依者、ジニャーニー
です。
何を求めて、何を探求するかによって、帰依者が定義されています。
今回は、第48話「カルマの意味」です。
(この「スピリチュアル・ヘリテージ」のビデオ番組は、今から約15年前に録画されたものです。
なので、インドの現在の状況と違うところがありますが、ご了承ください。)
最近のインドは、経済発展が著しく、GDPも日本を抜くのは確実と言われています。
しかし、15年前は、まだまだインドは発展途上の国だと思われていたと思います。
なぜ、インドは経済的な発展が遅れているのか?
「インドの人々は、カルマを信じているから経済的に遅れているのだ。
彼らは成功のために努力せず、運命を受け入れて、貧しいままでいる。」
と言われるのは、最も酷い誹謗中傷だと、ダヤーナンダジは仰っています。
仏教徒の国、日本でもカルマは信じられているのに、経済発展したのですから、カルマが原因というのは根拠がありません。
インドが経済的に遅れていた理由のひとつは、何世紀もの間、外国の支配下にあったため、その外国の製品を売るための市場にされていたからです。
また、事業を行うためには、支配している国の許可が必要でした。
かなり制限された状況にあったことは、想像できますよね。
第二次世界大戦後、日本も含め、多くの国が経済発展を遂げました。
その急激な発展の影には、社会問題も多く見られました。
日本の場合でしたら、公害の問題もありましたよね。
急激な経済発展は、社会のどこかに歪みを生んでしまいました。
しかし、インドでは、そのような急激な発展は起こりませんでした。
なぜなら、カルマがあり、国に対して、家族に対して、自分自身の義務を引き受ける生き方をしているからです。
義務という言葉の意味が、インドの人の心を統括しているのです。
このように、正直に稼いで生計を立てている多くの人たちに、インドの文化は支えられています。
インドの人たちは、人生を生きています。
スピリチュアルヘリテージ
インドの人たちはカルマを行い、そして生きています。
彼らは宗教上の締め付けの下にはいません。
アダルマが行われないように宗教的な申し付けを守っているのではありません。
彼らはダブルスタンダードを持っていません。
(中略)
自分に良い事は他の人にも良いことなのです。
彼らはダルマを信じています。
彼らは正直な態度で生活に必要なものを得ています。
これが大多数の人々なのです。
これがカルマの意味が人々に行き渡っているために起こっていることなのです。
カルマは、行いに関してあなたに責任を持たせます。
またあなたの未来についての責任も持たせます。
この人生だけでなく、これからやってくる人生にもあなた自身に責任を持たせます。
宗教的に禁止されているから、法律で禁止されているから、処罰されるから、悪いことをしないのではないのです。
私にとって良くない行いは、誰かにとっても良くない行いです。
誰もが生まれながらに、良い悪いのセンス、普遍の価値・ダルマが与えられています。
どの時代の人もどの国の人も同じ、普遍のダルマです。
悪い行いをしたら、それが結果としていつか自分に返ってきます。
それをわかっているので、自分の行いに対して、責任を持つことができます。
それは自分の今の人生での未来だけでなく、これからの新たな人生に対しても責任を持つことです。
自分がすべきこと、義務を責任をもって行い、その結果を幸せに受け取る、正直な生き方。
社会に対して持つ責任感は、カルマが基礎にあります。
カルマは発展を妨げるものではないのです。
人類に普遍のダルマ・カルマの理解が、私たちを責任のある人にするのです。
ダヤーナンダジは、この普遍のダルマは世界の全ての文化に生きる人が認識する必要があると仰っています。
スピリチュアルヘリテージ
私は傷つきたくありません。
この地上に住む者たちは誰もが傷つきたくありません。
それは真実です。
それに尊敬が払わねばなりません。
すべての文化に属する人たちがアヒムサーと呼ばれるこのひとつの価値に尊敬を払うならどうでしょう?
ガンジーがいつも大事だと訴えた価値です。
私たちの文化にある価値です。
彼は私たちの文化にあるこの価値を大事だと訴えました。
ガンジーが強調した価値は、ひとつの普遍の価値なのです。
すべての文化に属する人々が尊敬しなければならない普遍の価値なのです。
そして皆がそれに尊敬を払う時、ハーモニー、平和があります。
私たちはそれが欲しいのです。
尊敬されるべきこの価値を、 私たち皆が欲しているのです。
それが私の祈りです。
これが私の変わらぬ祈りであり、私の夢なのです。
ありがとう。
今回の最後、とても大事なことを仰っていて、ぜひ読んで頂きたいので長い引用になりました。
今現在も、地球のどこかで戦争があり、傷つけ傷つきあっています。
戦争状態でなくても、日常の中で傷つけあうことが起こってしまします。
誰もが傷つきなくないのに。
誰もがハーモニー、平和を求めているのに。
アヒムサー、という普遍の価値が、どの文化の人も大事にできるように、私も祈ります。
次回はダルマについてです。