先延ばしと執着のなさ

月1回のヴェーダーンタ勉強会、スワミ・ダヤーナンダジ(私の先生、スワミ・チェータナーナンダジの先生)のテレビ番組「スピリチュアル・ヘリテージ」の日本語訳をみんなで読んでいます。

私個人の振り返りと、整理のために、ブログに思ったことを書いていこうと思います。

前回のおさらいを簡単に。

さまざまな「価値」についてのお話が続いています。

前回は、「内側の清潔さ」。

生きていく中で抱えてしまう、罪悪感や嫉妬などの「汚れ」。

それらをどのように綺麗に清潔にするのでしょうか?

一つは、祈り。

もう一つは、「プラティ・パクシャ・バーバナ」反対の立場に立っての思い方です。

例えば、誰がが私が持っていないものやできないことをしている人に嫉妬したとします。

嫉妬するということは、その人が持っているものや成し遂げたことに価値があることを認めているからなんです。

その価値を認めて、その人がその価値を授かったことを神に感謝します。

同じように、私にもそれがあるように、私が持っているものを楽しめるように祈るのです。

そうすることで、嫉妬という内側の汚れを浄化するのです。



そして今回は、第42話「先延ばしと執着の手放し」です。

前回の41話で、スタイリャム、成さねばならないことへの専心という価値観が言われました。

このスタイリャムから派生して、先延ばしと後回し(先送り)の違いを明確にする必要があるのです。

成さねばならないことを、先延ばししないように。

先延ばしにする傾向は、誰にでもあります。

好きなことはすぐに取り掛かれますが、避けたいことや辛いこと、努力が必要なことは先延ばしにしがちです。


後回し・先送りは、理由があって、これは後にしよう、とするもの。

そのときに判断する価値基準が定まっていなかったり、情報がなかったりするときです。

先延ばしは、しなければいけないのに、「やりたくないなー」と無関心になることです。

心当たり、ありませんか?


生活の中で、最も難しいこと、辛いことを意図的に先に済ませる、簡単なことを後にする、これが鍛錬だと言われます。

先延ばしを避けることで、自分自身のすべきことに没頭するのです。


他の人のすべきことをするよりも、その人が期待されているその人のすべきこと、義務をして、たとえ死んだとしても、その方がより良いのです。

もし、それが辛くて困難なものであるなら、その人はそれを通して良い状況に行きます。

他のことをするよりも。

ですから、これは良い価値です。スタイリャム。

スピリチュアルヘリテージ

他の人のすべきことを羨ましく思ったり、自分もやりたいと手を出したりせず、自分がその状況ですべきことをする、たとえ成し遂げられなくても、その方が全然良いのだそうです。

自分のすべきことをすることが、自分の成長になるのですから。


そして、アヒムサからはじまる、今まで話されてきた価値をどれか一つでも分析するなら、あなたをあるがままに留めると言われています。

あるがままにとは、客観性があり、執着を手放すことからの平静さがあることです。

それはイーシュワラに留まること、とも言えます。

イーシュワラを見ずに、客観性はありません。


私たちは、限られた視野で物事を見てしまうので、主観的な見方が板についています。

物事をあるがままに見ずに、何かの価値を上乗せして見たり、見下げてみることがあります。

今回のお話で出てきたのは、例えばお金です。


「お金があれば、幸せ」

「お金を持っていると安心」

「より多くお金を持っている人が価値がある」

そんな見方を持っていたりしますし、世の中にはこのような考え方がたくさんありますよね。

お金を得て幸せになったり、安心できると思って、ときには良くないことをしてまで、お金を得ようとします。

かといって、お金には価値がないというのは間違っています。

客観的に見て、お金には購買力という価値があります。

ただそれだけです。

しかし、お金があれば安心だとか幸せだとか、そのような見方は、お金に対して価値の上乗せをした見方です。

つまり、お金は価値を持っています。

それ以上の価値はありませんから「お金が私を安心にする」は本当ではありません。

購買力と言う意味で、お金はあなたが少し自由に動けるゆとりを与えます。

経済的な自由です。

それはお金が与えます。

しかしお金は安心を与えたりしません。

もし私が、不安であれば不安なままです。

お金を持てば、私にはより不安がつのります。

ですから、お金は、私に不安からの自由をかなえたりできません。

スピリチュアルヘリテージ

何かに他のものの価値を上乗せして見ているなら、それは真実ではないので、いつか気がついて失望することになります。

お金に上乗せした見方をして、大きな期待を寄せて、あるがままを見ていないのです。

これらは、執着の手放しによる平静さ(ヴァイラーギャ)がないことからおこります。

次回に続きます。


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