誰もが役割を通して、世界に、宇宙創造という儀式に参加している
月1回のヴェーダーンタ勉強会、スワミ・ダヤーナンダジ(私の先生、スワミ・チェータナーナンダジの先生)のテレビ番組「スピリチュアル・ヘリテージ」の日本語訳をみんなで読んでいます。
私個人の振り返りと、整理のために、ブログに思ったことを書いていこうと思います。
前回のおさらいを簡単に。
人生を生きると言う事は、世界と関わりを持つこと。
私たちは、役割を通して世界と関わっています。
お互いに義務を果たしあうことで、お互いの権利を叶えるのです。
義務と権利、どちらかを重要視することではありません。
自分の義務を果たすことも重要ですが、一方で相手の権利を重要視することも必要だと言われました。
自分に与えられた義務を果たすことは自己成長につながり、相手の権利を叶えることになります。
自分も相手もハッピーな関わり方です。
そして今回は、第30話「消費する人よりも貢献する人へ」です。
私たちは、役割を通して世界と関わっていますが、もっと大きく捉えると。
この世界は常に創造されていて、今も移り変わり、この瞬間瞬間、宇宙創造が進行しています。
この偉大な宇宙創造を、ハマー・ヤグニャ(偉大な儀式)といいます。
神・イーシュワラが常に創造している中で、私たちも、行い・役割を通して、その宇宙創造・儀式に参加しているのです。
人間だけでなく、動物植物も。
植物は土から栄養をもらい、私たちに酸素を与え、草や実を与えてくれます。
動物たちもこの生態系に参加しています。世界を消費するのと同時に、貢献をしています。
私たち人間も、消費者であり貢献者です。
私たちにとって、牛は高貴な生き物です。
スピリチュアルヘリテージ
なぜなら、消費が少なく、たくさん貢献するからです。
それが神聖さを示しているのです。
それはプログラムされているのです。
しかし私たちはその牛の姿に、つまり、消費するよりも与える方が多い、その神聖さに祈ることができます。
スピリチュアリティがあるところは、そこなのです。
成長があるのは、 そこのところなのです。
あなたが消費する人よりも、貢献する人となるのが成長です。それが私たちの文化です。
インドで牛さんが「神」とされているのは、このような理由なんですね。
消費するよりも、貢献する方が多い、そこが神聖さです。
インドでマハートマー・ガンジーが尊敬されているのは、消費を最低限に抑え、国のためになることを多く与えたからです。
手放すことが尊いとされるインドだからこそ、マハートマー・ガンジーが尊敬されているのです。
単に手放して貧しい生活に傾倒しているのではありません。
その人には自分がすでに満たされていることを知っているから、満足があるから、手放すことができるのです。
インドではそういった人々に敬意が払われています。
生きとし生けるもの全てが、宇宙創造の儀式に参加していて、消費者でもあり貢献者でもあるのです。
こうして、あなたが参加者なのです。
スピリチュアルヘリテージ
そして、最も良い参加は、あなたがあなたの役割を演じるときです。
まさにあなたがすべきことをするときです。
役割のための台本があります。(中略)
人は台本(聖典)に従わなければなりません。
そして台本に上手に従っているなら、イーシュワラとひとつになります。
イーシュワラとのハーモニーを得ます。
イーシュワラとひとつと私が言うのは、あなたはイーシュワラと摩擦していないということ、あなたはイーシュワラとハーモニーであるということです。
この意味で適切な言葉が、ヨーガなのです。ヨーガは、ヨージャネー、つまり、あなたはイーシュワラとハーモニーにあるということです。
なぜなら、これがあなたの貢献であり、あなたがあなたの場所にフィットしているという意味です。
ヨーガとは、 「つながる」と言う意味があると一般的に言われていて、それぞれ解釈されていますが、イーシュワラとのハーモニー、イーシュワラとのこのようなつながりのことを意味するのです。
私がすべきことをした時、義務を果たした時、喜びがあります。
例えば、洗濯をため込んでいる時、ずっと気になっていて、重たいものを背負っているような感じがありませんか?
そしてやっと洗濯ができたときの開放感。
このときの重荷が、イーシュワラからの孤立感・疎外感なのです。
洗濯の中にでさえ、イーシュワラがあるのです。
自分の義務や役割と言われると、何か大きな仕事を意味するかと思いがちですが、洗濯や掃除といった日常の生活での役割も重要なのです。
インドでは、「仕事は祈りである」と言われるそうです。
洗濯や掃除が何の祈りになるのか、と思われるかもしれません。
大事なのは、私の考え方から生まれる態度であって、何をしているかではないのです。
「私も偉大な世界創造の儀式に参加している。役割を通じて、儀式に貢献している」
という理解から生まれる態度。
その態度から行えば、洗濯や掃除も祈りになるのです。
次回も役割についてのお話です。