ジャパ瞑想で得られる結果

月1回のヴェーダーンタ勉強会、スワミ・ダヤーナンダジ(私の先生、スワミ・チェータナーナンダジの先生)のテレビ番組「スピリチュアル・ヘリテージ」の日本語訳をみんなで読んでいます。

私個人の振り返りと、整理のために、ブログに思ったことを書いていこうと思います。

お祈りのお話から。

考えを使った祈りという行い、すなわち瞑想についてのお話が続いています。

さまざまな瞑想方法がありますが、伝統的な瞑想の定義は、

「サグナ・ブラフマ・ヴィシャヤ・マーナサ・ヴャーパーラハ」

グナ(質)をもって現れたイーシュワラを対象とした考えの活動

です。

そして、瞑想の前の準備について言われました。

「外側のものを外側に置く」ことです。

特に身近な人に対して、「こうして欲しい、こうして欲しくない」と欲求を持ってしまう私。

自然に対して、「そういうもの」として受け入れるのと同じように、

周りの人、私を悩ませる出来事、周囲の環境、それらに対しても、「そういうもの」として受け入れ、相手に自由を与えることで、私も自由でいられる。

外側のものを外側に置くことが、瞑想の準備でもあり、人間関係をより良くして、相手も自分もストレスなく関われる方法だと思います。

今回は第18話「考えの行い、瞑想 その3」です。

ジャパ瞑想についてのお話です。

「ジャパ瞑想」、ご存知でしょうか?

一定の時間、一定の回数、ある特定の祈りの言葉やマントラを繰り返し考えで唱える方法です。

マーラ(数珠)を使って行ったりします。

今まで見てきた、儀式や詠唱と同様に、この考えでの祈りも結果をもたらすのですが、儀式や詠唱とは違う、貴重な結果が叶うと言われています。

どのような結果が、効果があるのでしょうか?

瞑想は、「神を想う考えの行い」です。

その考えにはどういう性質があるのかを説明されています。

例えば、私が歩いているとき、犬を見かけました。

「あ、かわいい犬だな。」

「そういえば、○○○さんとワンちゃん、元気かな?」

「○○○さんと、最近連絡していないな。」

「○○○さんとにお薦めしてもらったあの本、まだ読んでない。」

「帰ったら、ネットで注文しよう。」

「ついでに、いつも買っているハンドクリームを注文しなきゃ。」

このように、「犬→○○○さん→本→ハンドクリーム」と考えの対象が、一瞬一瞬変わっていきます。

機械的で自動的に、考えは進んでしまうのです。

考えはこういうもので、どの人も考えもそうです。

ある人が、「まるでネットサーフィンしてるみたい」と仰っていましたが、まさにそうだと思います。

考えを制御する手綱がなく、彷徨う感じ。

ジャパ瞑想は、ある祈りの言葉やマントラを唱えるように、考えに指示を出します。

機械的で自動的に進んでしまう考えに、マントラを唱える、という仕事を与えているのです。

もちろん、考えはふらふら彷徨う性質があるので、途中で違うことを考えることもありますが、

ジャパ瞑想は、一つのマントラに定めているので、考えが外れたら、自分で気がつきます。

「あ、今違うことを考えてる」と。

気がついたら、すぐにマントラに戻ります。

この繰り返しです。

このように、ジャパ瞑想は考えの手綱を手に入れる練習をしているのです。

私はこの思考の進行を止めたいのです。
少なくとも、しっかりと止める前に、まずはある程度のところまで。
そして練習によって後ほど大きな成果となるまで、私は考えに意図的に仕事を与えます、
この仕事のことをジャパと言います。
ジャパというのは、ひとつの何かの文章のチャンティングを選んで行うことです。

スピリチュアルヘリテージ

このジャパ瞑想の大きな結果、成果とは何でしょう?

機械的で自動的に進む考えの手綱を手にすることで得られることは?


私はよくやっているのですが、同じこと、それも考えても仕方がないことを繰り返し考えてしまうことがあります。

「明日の準備どうしよう」

「そういえば、明日はあれを持っていかなきゃ」

「あれもしなきゃ、ついでにこれも」

「で、明日の準備どうしよう」と繰り返すのです。

他のことは今考えなくてもいいはずで、明日の準備のことを考えて、すぐ取り組めばいいのに。

他にも、

「さっき私がやったこと、良くなかったのかな」

「あ、また失敗したのかも」

「私ってダメだな」

と繰り返す自己批判。

悲しかったことを思い出して、繰り返し考えたり。。。

このように、考えは機械的に自動的に連れて行ってしまうのです。

それを、

「今はそれを考えるときじゃないから、やめよう」

「またこの考えを繰り返してるな、やめよう」

「今すべきことをやろう」

と、自分の考えに気がついて、あるべき道に戻すように訓練します。

この考えでの祈りも効果があります。
特にこの機械的な考えを止めるというドリシュタ・パラムとしての効果があるのです。
この機械的な考えが私を悲しみに導くものですし、失望の状態に導くものです。
少なくとも私自身がその私をどこかで止めることができれば、我を失ってしまうようにさせたりはしません。

スピリチュアルヘリテージ

考えの手綱を持てず、我を失ってしまうことが、過去にどれだけあったでしょうか。

「あのときもう少し冷静に慣れていれば」

そんなふうに振り返ることもありました。

そうなる前に、自分で自分自身に気がつければ、もっと良い対応ができたでしょう。

ですから、あなたが考えを連れ戻すとき、あなたは学びます。
あなたの考えの振る舞いを操縦するための手綱をどのように手にするのかを学ぶのです。

スピリチュアルヘリテージ

どのような場面であっても、自分の考えに気づいて、手綱を手にすることができるのは、人生で達成したい、素晴らしい素養ですよね。

繰り返しの練習しかありません。

瞑想の話題はこれで終わりです。

また次回に。