行いと行いの結果の繋がり

月1回のヴェーダーンタ勉強会、スワミ・ダヤーナンダジ(私の先生、スワミ・チェータナーナンダジの先生)のテレビ番組「スピリチュアル・ヘリテージ」の日本語訳をみんなで読んでいます。

私個人の振り返りと、整理のために、ブログに思ったことを書いていこうと思います。

第3話では、「成功」とは何かを見ていきました。

何か成し遂げたいこと、得たいこと、それに対する成功か、不成功か、満たされたか、満たされなかったかで自分自身を評価します。

成し遂げたいこと、手に入れたいこと、たくさんある中で、叶えられることはごくわずか。

私達は全知全能ではないので、それは当然のことです。

それを知らずに、成功か、そうじゃないかで自分を評価していては、いつも満たされなくて、自分を小さく見てしまいます。

ではそもそも、成功とは何か?

私達は、結果を予想・期待して行いをしますが、その行いの結果は4つに分けられます。

・予想通りの結果(たまにある)

・予想以上に良い結果(本当にごくわずか)

・予想以下(予想より良くない)の結果(結構多い)

・予想と反対(想像を絶する、良くない)の結果(まれにある)

これらの結果に振り回されず、上手に扱うことが、「成功」だと言うのです。

例えば、試験に落ちたとしたら。

「試験に落ちた」のは、予想以下、予想と反対の結果で、残念ではあるけれども、「試験に落ちたから自分はダメだ」というように、自分の評価と結び付けないこと。

「試験に落ちた」のは客観的な事実だけれども、「だから自分はダメ」というのはとても主観的な見方による考えなのです。

ということは、4つの結果を上手に扱うためには、客観的な考えを持つことが大事ですよね。

今回の第4話は、「健全な考えの発見」です。

行いの4つの結果を上手に扱うために、あらためて行いと行いの結果を見ていきましょう。

私達は、何かを手に入れたい、これを成し遂げたい、これをしたい、そのような目的を持って、何かしらの努力・行いをします。

これをしたら、結果はどうなるのか、ある程度の予測や期待をして行いをしますよね。

行いと、結果(ゴール)の繋がり・関係(サンバンダ)を、ある程度理解しています。

でもですよ、予想通りになるとは限らないですよね。

12時に横浜に着くために、11時半のバスに乗るという行いを選ぶとします。

予想通り、バスが来て横浜に着くこともあれば、バスが渋滞で遅れることもあります。

何かしらのトラブルが発生して、12時に間に合わないこともあるし、着かないこともあるでしょう。

自分にはどうにもならない、自分の采配が及ばないことです。

ですから、私は私のすべての行いに選択を持っていて、それは恩恵ですが、一旦行いがなされたなら、結果は法則によって処理されます。法則といっても私たちはそのほとんどを知りません。私たちが知っている法則と言えば、私たちの不完全な知識のもとにほんの少しです。私はそれが完全になることは永遠にないと思います。その必要もありません。

私たちは、行いには選択を持っていますが、なされた行いの結果は、法則によって処理されます。

法則を完全に知ることはないし、その必要もないんですね。

その法則は、カルマの法則・ダルマの法則と言われます。

私たちは結果を選択できません。選択できるのは行いだけです。選択する自由があります。

結果についての完全なる責任はないことを知る事はとても重要なことです。私は、私の計画や行いについての完全なる責任を持っています。私は責任を負います。けれども、結果については、私に完全なる責任がありません。なぜなら私は知りませんから。私はこの先にある全てを知りません。ですから、私たちがそれを理解するこが大切です。

「結果については、私に完全なる責任がありません。」

私はこの言葉で、気持ちが楽になりました。

上手くいかなかった結果を、すべて自分の責任だと私を責めていたのです。

「私の努力が足りなかった」

「もっと頑張らないといけなかった」

そんなふうに。

そして「自分はダメだ」と自分を批判する。

もちろん、私の至らないところがあるとは思うけれども、私にはどうにもできなかったこともある。

だからこそ、自分の行いには責任を持つことがどれだけ大事なのかと思います。

結果は選べないけれど、する・しない・するならどのように行うかの行いは選べる。

精一杯やったのであれば、どのような結果が与えられても受け入れられる。

受け入れがたいことも多々あるけれど、できることをしなかった結果を悔やみたくないですよね。

望んだ結果を得られなかった、すべての理由を知ることはできないけれど、

「結果については、私に完全なる責任がありません。」を理解すると、自分の行いに気持ちを向けて集中できると思います。

(私は、自分に「上手くやらなきゃ」とプレッシャーをかけすぎて、すべきことを疎かにしてしまうことがありました。)

そして、行いがなされたら、カルマの法則・ダルマの法則によって処理されて、結果が与えられます。

私たちがいるこの世界は、カルマの法則もそうですが、様々な秩序体系によって成されています。

行いの結果が与えられるのと同様、よくよく世界を見てみると、この世界のすべてのものは、与えられていることに気が付きます。

重力の法則などの物理的な法則が与えられ、その中で私たちは生きています。

この世界を体験する身体も与えられています。

身体を維持する空気や食べ物も。

太陽の光や熱、食べ物を育む大地、海、山、すべての自然。

何かを聞いて、見て、触れて、感覚器官と考えも。

すべてが与えられているということを見る必要があります。

次回第5話は、「与えられている物をよく見てみる」です。






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