慈愛に満ちた生き方ーダルマとカルマの法則

月1回のヴェーダーンタ勉強会、スワミ・ダヤーナンダジ(私の先生、スワミ・チェータナーナンダジの先生)のテレビ番組「スピリチュアル・ヘリテージ」の日本語訳をみんなで読んでいます。

私個人の振り返りと、整理のために、ブログに思ったことを書いていこうと思います。

前回のお話を簡単に振り返ります。

前回は、カルマとダルマのお話でした。

誰もが生まれながらに、良い悪いのセンス、普遍の価値・ダルマが与えられています。

どの時代の人もどの国の人も同じ、普遍のダルマです。

悪い行いをしたら、それが結果としていつか自分に返ってきます。

それをわかっているので、自分の行いに対して、責任を持つことができます。

それは自分の今の人生での未来だけでなく、これからの新たな人生に対しても責任を持つことです。

自分がすべきこと、義務を責任をもって行い、その結果を幸せに受け取る、正直な生き方。

人類に普遍のダルマ・カルマの理解が、私たちを責任のある人にするのです。

ダヤーナンダジは、この普遍のダルマは世界の全ての文化に生きる人が認識する必要があると仰っています。

ダルマの基盤になっている価値が、アヒムサー(傷つけない)という価値です。

誰もが傷つきたくありません。

異なる文化や宗教の人に対しても、お互いがアヒムサーという価値を尊重できますうように。



今回は、第49話「ダルマの法則の解説」です。


前回に続いて、カルマとダルマのお話です。

カルマは一般的に「行い」と訳されています。

さらに、カルマは、「行いの結果カルマ・パラ」も意味します。

行いの結果すぐに得られる結果もあるし、後々得られる結果もあります。

目に見える行いの結果を、「ドリシュタ・パラ」

後々実る、目に見えない行いの結果を、「アドリシュタ・パラ」と言います。


アドリシュタは、ポジティブなものと、ポジティブでないものがあります。

ポジティブなものは、プンニャと呼ばれ、心地よい経験として返ってきます。


ポジティブでないものは、パーパと呼ばれ、心地よくない経験として返ってきます。

私たちが欲しいのは、プンニャの方ですよね(笑)。


そのプンニャ、どのように得られるのかというと、


「 プンニャは、完全に自由な自由意志による人間の行いの結果として得られるものです。

つまり、可能な限り自由な自由意志によって起こるものです。」


まずは、人間だけが自由意志・選択を持っていることが言われています。

そして自由意志って、自由じゃないの?と思いますよね。

人生のさまざまな選択、自分で自由に選んでいる、と思われるかもしれませんが、

本当にそうですか?

過去の経験による習性や、損得勘定、人の目を気にしたり、不安や恐怖、といったプレッシャーから選んでいませんか?

このようなプレッシャーの下にないときにだけ、

「完全に自由な」自由意志が手に入ると言われています。

選択していることに無頓着になり、習性で選択していたり、

不安から逃れようとしたり、また人からどう思われるかを気にしたり。

完全に自由な」自由意志は、なかなか難しいものだと私は思います。


このお話は以前にも出てきたのですが、

「完全に自由な」自由意志を得るための練習として、

祈ることと、助けの手を差し伸べることが言われました。

祈ることも、助けの手を差し伸べることも、

する必要がないかもしれない、でもあえて祈り、手を差し伸べる、

そこに自由意志・選択があるのです。

特に祈りは、100%の自由意志を使う行いと言われています。

この2つがプンニャを作る行いです。


対して、パーパは。

「 他の人から、あなたがされたくない行為を、あなたがします。それをパーパと呼びます。」

自分がされたくないこと、特に傷つけられるようなことを、

他の人にしたら、それがパーパとなるのです。

誰もが傷つきたくないという、普遍のダルマに反する(アダルマ)行いです。


このプンニャとパーパ、両方のことも「カルマ」と呼ばれます。


今、明らかなことは、このプンニャやパーパと呼ばれるアドリシュタは、私たちがダルマと呼ぶものの裏面に過ぎません。

今あなたがたは、理解しましたね。

私が助けの手を差し伸べるとき、それはまた人のダルマなのです。

本当のことを言うなら、それ以外のダルマはありません。

それが人間のダルマなのです。

Human、人間と言うのは、humane、慈愛に満ちた生き方と言う意味から派生した言葉です。

慈愛に満ちた生き方が人間を人間とするものなのです。

慈愛に満ちた生き方があるとき、ダルマとの一致があります。

そしてアドリシュタであるプンニャが発生します。

その慈愛に満ちた生き方が妨げられるとき、人はアダルマをする傾向があります。

その時、人はダルマに反した行いをしがちになります。

それがアダルマと呼ばれるのです。

人は、その行いに没頭します。


スピリチュアルヘリテージ



自由意志を悪用することは、ダルマに反していて、

自由意志を役立てることは、ダルマに沿っています。

ダルマ、という普遍の秩序法則に基づいて、プンニャとパーパのカルマがあります。

コインの表と裏のように、ダルマの法則の片側がカルマの法則です。


カルマの理解はとても大切なことです。

この秩序法則・ダルマから逃れることは誰もできません。

誰もがこの普遍のダルマの感覚を持っています。


ダルマが神なのです。

全てが神であるのと同じように、ダルマが神なのです。

実際、私たちは神をダルマとして感じています。

私たちはすでに神を感じています。

ダルマの感覚で感じているのです。

それはすべての人に普遍の現れなのです。

ダルマに反することは、神に反することなのです。

ですから、神のために、どのようなアダルマもしませんようにと、私は言うのです。

スピリチュアルヘリテージ



ダルマの法則との一致は、良いカルマの人生を生きること。

間違った行いをすると、それに対して、今、または後に報いることになる。

これは理屈の通ったことで、論理的なことなのです。



次回はに続きます。


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