「人生の成功」とは?

月1回のヴェーダーンタ勉強会、スワミ・ダヤーナンダジ(私の先生、スワミ・チェータナーナンダジの先生)のテレビ番組「スピリチュアル・ヘリテージ」の日本語訳をみんなで読んでいます。

私個人の振り返りと、整理のために、ブログに思ったことを書いていこうと思います。

第2話では、自己尊厳についてでした。

私たちの自己尊厳・自己評価・自己満足というものをみてきました。

何か成し遂げたいこと、得たいこと、それに対する成功か、不成功か、満たされたか、満たされなかったかで自分自身を評価します。

または、自分より成功しているように見える人と比べたり、自分よりうまくいっていないように見える人と比べたりして、自分の価値を図ります。

たくさん成し遂げたいこと、得たいことがあるなかで、全知全能ではない私たちは、すべてを叶えることはありません。

自分よりもたくさん持っている人、少なく持っている人もいます。

このような見方で自分を評価していては、いつも満たされなくて、自分を小さく見てしまいます。

それでは自己満足・自己尊厳など持つことはできないですよね。

次の第3話は、自己尊厳を傷つけるような、「成功・失敗」の見方で自分を評価するのではなく、そもそも「成功」とは何かを見ていきます。

第3話「成功の意味の再定義」

第3話の冒頭、ダヤーナンダジは、「願望は恩恵です。でもなぜ、恩恵を楽しめないのでしょうか?」と疑問を投げかけています。

私の場合ですが、「願望を持っても、叶うことはごくわずか、だったら多くを望まずにいた方が楽に生きられるのでは。」と思っていました。

得たいことを得られなければ「失敗した人」、避けたいことを避けられなかったら「失敗した人」、維持したいことを維持できなかったら「失敗した人」。

満たされない願望は、いつも私を敗北した人にします。これが皆に言えることです。

これがまさにその人の平安を蝕んでしまいます。

「敗北した人」である私は、何かを始めること、チャレンジすることなどを無意味だと思うようになるし、人生そのものも無意味だと思うようになるでしょう。

そんな自分に尊厳を持つなんて、とても無理なことですよね。

自己尊厳がない時、他の人の評価が大事なものとなります。

これもすごく思い当たります。

自分に尊厳を持てず、自分を適切に評価できなくて、小さく見てしまっていると、他の人が自分がどう評価するかが自分の評価になってしまうのです。

自分軸ではなく、他人軸、とても言うのでしょうか。

なので、成功の意味を正しくみましょう、とダヤーナンダジは仰っています。

願望を持つこと、野心を持つことに対して、罪悪感を持つことがありますが、それは問題ではないのです。

本当の問題は、何が私に嬉しくない状況をもたらすのかを理解することが難しいこと、そして起こる状況をうまく扱うことができないことです。

私たち個人としては、知識や能力、資源に限りがあります。

だからすべての願望を叶えることはできません。

そして与えられる結果や状況というのは、私自身でできることはごくわずかで、ヴェーダーンタでいうならイーシュワラ(神)が与えるもだということを理解する必要があります。

同じことをしても、与えられた結果が違うことは、みなさんも経験があると思います。

うまくいったり、いかなかったり、運が良かった、運が悪かった、自分ではコントロールできないことです。

それをまず理解すること。

そして願望をもって努力したことの結果を受け入れることが必要です。

私たちは、「こうしたらこれを得られるだろう」、「これを行えば、こういう結果があるだろう」という予想や期待を持って行いをしますよね。

そして結果を得るのですが、それを4つに分けてみています。

・予想通りの結果(たまにある)

・予想以上に良い結果(本当にごくわずか)

・予想以下(予想より良くない)の結果(結構多い)

・予想と反対(想像を絶する、良くない)の結果(まれにある)

これらの結果を上手に扱うことが、「成功」だと言うのです。

私もそうですが、多くの人がこう思うのではないでしょうか。

予想通りなら、「当然の結果」と思うし、予想以上に良かったら、「ラッキー」「私の実力で得られた結果だ!」と浮かれてしまうし、予想以下だと、「何だか運が悪かった」とがっかりします。

そして予想と反対の想像を絶する悪い結果だと、「あのせいでうまくいかなかった!」「何で私ばかりいつも悪いの!」「神様のバカ!」と絶望したり怒りの感情が起こったりします。

このように、結果に振り回されるのではなく、上手に結果を扱うこと、それが「成功」。

予想通り、予想以上に良い結果の時も、浮かれずに冷静に、感謝をもって結果を受け取る。

予想以下や予想と反対の時も、結果を冷静に受け取る。

例えば、試験に落ちたとしても、残念ではあるけれども、「試験に落ちた」という事実は受け入れる。

そして、「試験に落ちたから自分はダメだ」というように、自分の評価と結び付けないこと。

「試験に落ちた」のは客観的な事実だけれども、「だから自分はダメ」というのはとても主観的な見方による考えなのです。

主観的な見方ではなく、客観的な見方での考え(健全な考え)を持つことが大切です。

次回第4話は、「健全な考えの発見」です。






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