自分自身の力を汲み上げるー与えること

月1回のヴェーダーンタ勉強会、スワミ・ダヤーナンダジ(私の先生、スワミ・チェータナーナンダジの先生)のテレビ番組「スピリチュアル・ヘリテージ」の日本語訳をみんなで読んでいます。

私個人の振り返りと、整理のために、ブログに思ったことを書いていこうと思います。

第10話では、ダルマ(良心・良い悪いのセンス)と調和することが成功であり、この成功の感覚が自己尊厳とコインの表と裏の関係であると言われました。

「ダルマと調和」と言葉にすると簡単なようですが、日常の中では難しい問題もあります。

「それはするべきだとわかっているけど、やりたくない」

「やめた方がいいことだとわかっているけど、やめられない」

このような葛藤が、私の日常ではたくさんあるのです!

ダルマを選ぶことより、好き嫌い(やりたい・やりたくない)を基準に選んでしまうことです。

すべきこと(ダルマ)と好きなこと、やりたいこと

避けるべきこと(アダルマ)と嫌いなこと、やりたくないこと

これが一致するまで、特に最初は大変な葛藤があります。

やりたくないことがやるべきことなんですからね。

それをどうするのか?

続いて第11話は「自由意志の強化」です。

私が生活の中でよくやってしまうのが、

「早く寝たほうがいいし、しっかり睡眠をとって体を休めるべきなのに、

ダラダラとネットを見てしまう」

ということがあります。

すべきこと、避けるべきことをわかっているのに、できない。

自分の良くない習慣を変えるのって、最初はものすごく大変です。

そのようなこと、ありませんか?

最初の段階では、ダルマとの調和にはある種の助けが必要と言われました。

それは内側の助け(自分自身の努力)と、外側の助けが必要だと。

私は自分の意志が弱いことを知っているので、外側の助けが必要なことはとてもよくわかります。

ここでもう一度、願望と自己尊厳、成功を振り返ると、

そもそも自己尊厳が低い



何かを達成して、手に入れる、そのような願望を叶えて、自己尊厳を得ようとする



「だから何としても成功しなければ、幸せになれない、自分はダメなままだ」願望がプレッシャーになる



願望から生まれたプレッシャーから、アダルマな行いをしてしまう



アダルマな行いでうまくいっても、罪悪感や葛藤を抱えて、自己尊厳は低いまま(いや、かえって自己尊厳は更に低くなるかも)



最初に戻る


このようなサイクルを繰り返しているのです。

自己尊厳と成功の感覚はコインの表と裏、成功の感覚はダルマとの調和にかかっていて、どれも一緒に手に入れなければならないのに、このサイクルの中にいたら、なかなか抜け出すことはできません。

このような相互依存を、アンニョンニャ・アーシュラヤといいます。

この相互依存から抜けるために、何が必要でしょうか?

一つは、外側の助け(サポート)。

同じ目的を持ち、成熟したい気持ちがあるグループのサポートです。

これをサットサンガと言います。

もう一つは、内側の助け(サポート)。

アートマ・バラン、自分自身の力です。

願望から生まれたプレッシャーに、私の意思が支配され、好き嫌いに振り回される中、アートマ・バランによって、意思を取り戻さなければなりません。

意志の弱い私には、アートマ・バラン、自分自身の力をもたらすために、どうしたら良いのか、気になります。

ダヤーナンダジは、アートマ・バランを与えてくれることとして、2つの方法をお話されました。

一つは、祈り。

祈りが私に内側の強さを与え、プレッシャーに圧倒されてしまう私を助けてくれる、と言います。

もう一つが、周りの人に手を差し伸べること、与えること・ダーナンです。

今回はこの「与えること」が私には大きなテーマでした。

私がそれができる状況にいるなら、

社会や国・地域が必要なこと、周りの人や他の動物にも必要なことをして手を差し伸べること。

直接手を差し伸べることができなくても、その人のために祈ること。

それは相手を助けているのではなく、私自身を助けている、これがアートマ・バランです。

見返りを期待したり、認めてもらうため、自分の価値を高めるため、そのような他のことのために与えるのではなく、ただ与えること。

与えることができることを喜び感謝して、自分の成長のために与えるのです。

何か助けた方がいい、と思ったのに、やらないで終わったこと、そのような後悔を思い出します。

例えば、電車で座っていたとき、席を譲ったほうがいいかな、と思っていたのに、何か気恥ずかしい感じがして言い出せなかったこと。

困ってそうだから、声をかけた方が良いかな、と思いつつ、何か理由をつけて見過ごしたこと。

そんな自分の弱さに気がついて、勇気を出して行動したとき、少しでも役に立てたら嬉しいし、
うまくいってもいかなくても、私の気持ちはスッキリします。

また、「私はここで助けたんだから、今度何かあったら助けてね、お互い様」という気持ちで行ったこともあります。

そのようなときの私の気持ちは、微妙です。すっきり感や喜びはあまりありません。

これがダーナン(与えるということ)と呼ばれます。
これが私たちの文化であって、アートマ・バラン、あなたの内側の強さを与えます。
あなたは物乞いではありません。
ですから、あなたは与える人です。
たとえあなたが貧しくても、あなたは与える人であり得ます。
あなたは裕福であり得ます。
与えるものがないわけではないのに与えられないとき、あなたは貧しい人です。

あー、耳が痛いです。

私は自分は与えられる人ではないとずっと思っていました。

たくさん持っている訳でもないし、人を助けられるような能力もないし、って思ってました。

少しでも、与えられるものはあるのに、与えていなかったな、貧しい心持ちでした。

そして、私の根底に、「私は満たされてない、足りない」という感覚があるので、与えることで何か自分が、自分が持っているものが減る感じがしていたのです。

だから与えられないし、与えるとしても出し惜しみ、惜しみなく与えることができない。

あなたは裕福です。
与えられるものはないように感じるけれど、持っているものはあるので、それを与えようと、それを与えるときあなたは裕福な人です。
私たちの文化ではそれを裕福な人というのです。裕福に育つというのはそういうことなのです。
手を差し伸べて助けることで、あなたはアートマ・バランを汲み上げなければなりません。
適切な時に言葉をかけて助け、悲しみの中にいる人を励ましなさい。
もしだめなら、笑顔で涙を止めることができるでしょう。それができます。
私には涙を消し去ることはできないけれど、ティッシュを渡すことはできますよ。
違いますか?ティッシュを渡しましょう。

「私は与えるものがない」という結論は、間違った見方でした。

与える人って、資産がある人、地位がある人、そういう人だと決めつけていました。

そうじゃなく、私でも、誰でも、与えられるものがあります。

悲しみの中にいる人の気持ちに寄り添ったり、声をかけたり、ティッシュを渡したり。

直接できなかったら、祈ることができる。

与えることで、私が根深く持っている「私は与えられない。満たされてないし、与える余裕があるほど足りてない」という結論が、経験を通して解消されるのではないかと思います。

その経験が、私に内側の強さを与えてくれるでしょう。

与える。それであなたは裕福です。
あなたは、アートマ・バラン、内側の強さを持つことができます。
他の方法ではそれを得ることができません。

「他の方法ではそれを得ることができません。」

そうですね。それしかありません。

祈りと与えることによって、アートマ・バラン、内側の強さを汲み上げることで、自分の自由意志を強化し、ダルマに反してしまう願望の力を緩めることことができます。

好き嫌いに振り回されたり、意志の弱さでダルマに反して進んでしまうのを引き留めるのです。

次回は、アートマ・バランを汲み上げる、もう一つの方法、祈りについてです。



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