「幸せ」とは?ーあなた自身のこと
月1回のヴェーダーンタ勉強会、スワミ・ダヤーナンダジ(私の先生、スワミ・チェータナーナンダジの先生)のテレビ番組「スピリチュアル・ヘリテージ」の日本語訳をみんなで読んでいます。
私個人の振り返りと、整理のために、ブログに思ったことを書いていこうと思います。
前回のおさらいを簡単に。
自分自身とは何か?という話題が続いていました。
「私」と言う言葉の意味は、「意識」以外のものではありえない。
意識である私は、全てに行き渡っている。
ということが明らかになりました。
私たちは、この「全てに行き渡っているそのもの」を体験しているといいます。
特に幸せな時はいつも。
「全てに行き渡っているそのもの」が私たちが欲しいものそのもので、それが私を幸せにするというのです。
そして今回は、第36話「 自分自身とはアーナンダ。」です。
幸せ、とは一体何なのでしょうか?
以前の私は、何かを手に入れたり、うまくいったり、好きなことをしたり、美味しいものを食べたり、そのような経験だと漠然と思っていました。
みなさんはいかがですか?
今回の始めに、幸せであるときに何が起きているのかを分析しています。
人は時々幸せでいて、その幸せの体験は、自分の意志でできるものではありません。
それでも、自分が幸せであることを期待して、自分にとって好ましい状況を作ろうとしています。
先ほど書いたように、私の場合は美味しいものを食べたり、好ましい状況を作ります。
しかし、私の周りの人も、その人の好みにしたいわけで、自分の好みの状況を作るのは簡単ではありません。
スピリチュアルヘリテージしかし、もし私が幸せであれば、状況が私の好みである事は真実です。
ですから、幸せと言うのは、物から引き出されるのではありません。
私が好みであって、状況があり、私は幸せなのです。
ですから、何が私を幸せにするかというなら、私の物事の見方なのです。
それは、はっきりしていることなのです。
ですから、私の下の物事の見方は、おそらく変わるでしょうし、それが私をより幸せにします。
それがヨーガと呼ばれます。
さらに、幸せとは何かを分析するなら、それは内側からでもありません。
それは私自身に集約されるのです。
私が「好きな私」でいるとき、たとえば、穏やかで落ち着いている(そんな私が好き)私でいるとき、多少嫌なことがあっても気にならないことがありませんか?
反対に、イライラして怒りっぽい(こんな私は好きじゃない)私でいるとき、今いる状況を悪く捉えて、よくない態度を取ってしまったり。
このような自分自身の見方が、幸せか不幸せかを左右します。
さらに、幸せは、物(外側)にあるのではなく、内側(気分や考え)にもありません。
幸せが考えにあるなら、悲しい考えも持つこともあるのだから、考えに幸せはありません。
真実、幸せとは何か、何が幸せの源なのか、私たちはわかっていないようなのです。
幸せな体験をしている時を分析すると、
主体である私が、客体である好きな対象物が手に入って、主体と客体がひとつに溶け合っている状況です。
今まで見てきたように、私自身の本質は、時間や空間に制限されることのない、すべてに行き渡っている意識です。
幸せな体験をしているときとは、
やらなければいけないこと、自分の役割、自分とはこんなもの、
このような自分を制限する考えが取り払われて、制限のなさを体験しているのです。
体験は一時的なものですが、自分の本質が垣間見れているんです。
休日にのんびり過ごすのが好きなのは、TO DO リストに追われていないし、会社員という役割がなくなって、自由があって、自分を制限するものが少ないですよね。
ですから、ギーターは言います。
スピリチュアルヘリテージ
アートマによってのみアートマに満たされています。
これが私たちの文化なのです。
幸せと言うのはあなた自身に集約されています。
そして自分自身を知ることで人は幸せであることができます。
自分自身とは、限りのない意識。
幸せは、限りのない私自身の体験です。
サッチダーナンダ(サトー存在・チトー意識・アーナンダー限りのないもの)が自分自身の真実です。
それを知ることで、幸せであることができるというのです。
一匹の蚊も、偉大な聖者も、あなたも、私も、全ての生きものはサッチダーナンダです。
私たちはいつも幸せを求めています。
しかし本当は、アーナンダである自分自身を探求しているのです。
「アーナンダ・限りがない」というのは、それ以上価値を高めることができない、最終の結論です。
私とは、サッチダーナンダ。
そして、私たちが神と呼ぶイーシュワラもサッチダーナンダ。
肉体を与えられて、この世界にいる私たちは、限られた考えを持つ、個人のサッチダーナンダで、
世界の源であり、全知であるサッチダーナンダがイーシュワラ。
インドの文化・ヴェーダーンタは、「あなたこそ、イーシュワラ」という結論を持っているのです。
次回は、またこのイーシュワラの話題に戻ります。