私の体は誰のもの?

月1回のヴェーダーンタ勉強会、スワミ・ダヤーナンダジ(私の先生、スワミ・チェータナーナンダジの先生)のテレビ番組「スピリチュアル・ヘリテージ」の日本語訳をみんなで読んでいます。

私個人の振り返りと、整理のために、ブログに思ったことを書いていこうと思います。

前回のおさらいを簡単に。

生きとし生けるもの全てが、宇宙創造と言う偉大な儀式に参加しています。

私たちは、自分の役割、すべきことを行うことでこの偉大な儀式に貢献しています。

しかし、役割にはまりすぎてしまうと、自分にも周りの人にもプレッシャーをかけてしまい、役割を楽しめなくなってしまいます。

役割には、困難や問題が伴います。

だからといって、自分の役割を降りることはできません。

唯一役割から楽になるのは、私と役割の間の距離・スペース、「 役割は私ですが、私が役割ではない」と言う見方です。

役割から自由な人(役割がないのではなく、役割のプレッシャーから自由)、役割を楽しめる人でいたいですね。


そして今回は、第32話「あなたは身体の所有者ではない」です。

私たち人間も、生きとし生けるものすべてが、自分の役割、すべきことを行うことでこの偉大な宇宙創造の儀式に貢献しています。

それを思い出すために、日々の行いも重要視されています。

具体的には、ご先祖様の供養、この教えを伝えてくれた先生への感謝、動物や植物をお世話すること、今同じ時代を生きている人たちへの貢献、神々への儀式があります。

そして、私たちの体をお世話することも、大切な役割です。

私は、私自身へのお世話もします。

毎日、体のヨーガをすることで、私は体をお世話します。

自分自身のお世話は、この体に対しての私の義務から始まります。

なぜなら、この体も与えられたものだからです。

おろそかにしてしまう態度は、私がこの体を自分の体だとみなすことから始まります。

事実、この体は私の体ではありません。

スピリチュアルヘリテージ

私はここでドキッとしました。

自分の体をおろそかにしてしまうのは、私の体を私のものだと思っているから。

確かにそうだなぁと思います。

この体はイーシュワラにに与えられたものだと言うことを忘れてしまうのです。

そして自分のものだと思ってしまっています。

もし私の体が、大切な他の人の体だったら、体に無理なことや負担をかけることは決してしないでしょう。

もっと大事に扱うはずです。


そしてこの体を傷つけること、その中でも自殺はアダルマな行いです。

与えられたこの体を、傷つける権利は私にはないのです。

この体は、私のものではないのですから。


では、この体は一体誰のものでしょう?

ヴェーダーンタで伝えれれている例え話があります。


この体を生み出した両親のもの?

面倒をみている自分の子供たち?

雇用契約で働いている会社?

私の生活の基盤である、この国?

私の体を作った食べ物?

私のお腹の中にいるアメーバー?


皆がそれぞれ所有権を主張し始めると、大混乱です。

よくよく考えると、「誰のものだ」ということはできません。


最終的な結論は、

「私はこの体を管理運営する、マネージャー」であると言うことです。


自分以外に、ふさわしいマネージャーはいません。なぜなら、体の痛みや空腹を認識できるのは私だけだからです。

私が信頼されてマネージャーとしてこの体に生まれました。


この体が私に与えられました。

この体を上手に管理運営するための信頼されたマネージャーが、あなたなのです。

上手に管理運営するために、あなたはこの体を大切にお世話しなければなりません。

それが私たちが進化させた理由です。私たちにはヨーガがあります。

(中略)

この体を大事にお世話するためにヨーガをしなさい。

私たちの先祖たちから、受け継いできた、最も素晴らしいエクササイズなのです。

スピリチュアルヘリテージ

この体は、私に与えられた、大事な財産です。

しかし私は、その体の所有者ではありません。

この見方が、「この体は私のもの」という間違った見方からアダルマな行いをしてしまうことを防ぐのだと思います。

役割と自分自身のスペースを認識することで、役割を楽しめるように、体と自分自身のスペースを認識することも、大切な役割なんですね。



次回も続きます。


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