うまく行かなかった結果と、私自身の評価は別のもの

月1回のヴェーダーンタ勉強会、スワミ・ダヤーナンダジ(私の先生、スワミ・チェータナーナンダジの先生)のテレビ番組「スピリチュアル・ヘリテージ」の日本語訳をみんなで読んでいます。

私個人の振り返りと、整理のために、ブログに思ったことを書いていこうと思います。

第8話では、「行いの結果は、イーシュワラ・神から恩恵であることを知っているなら、結果が受け入れやすくなる(プラサーダブッディー)、ショックアブソーバーとなる」ということを見てきました。

たとえツライ結果でも、プラサーダブッディーがあれば、自己批判や自己否定せず、結果をありのままに受け入れ、客観的に対応しやすくなります。

もちろん、結果によって悲しんだり、がっかりしたりはありますが、それでも、この結果から、私は何ができるかを考え、次の行いをすることもできます。

このように結果を上手に扱うことができる、これこそが成功だということです。

続いて第9話は「ダルマ」です。

今までの人生で、いったいどれほどのことを望み、叶えようと私達はしてきたでしょう。

ちょっとした望みから、強く願ったことも含め、本当にたくさんのことを望んできました。

しかし振り返ると、望み通りに叶ったことは、ほんの一部。

殆どが思ったとおりではありません。

うまく行かなかったとき、

「自分はダメだ」

「いつも失敗ばかりしている」

そんなふうに、自分を評価していませんか?

すべてはイーシュワラから現れたものであると、前の話題にもありましたが、

行いの結果も、イーシュワラ・神から現れれたもの。恩恵・プラサーダです。

私達は行いはできますが、行いの結果はイーシュワラ・法則によって処理され、私達に与えられます。

であるなら、行いの結果がどうであれ、その結果と私自身の評価は、直接結びつくものでしょうか?

これが重要なところです。
すべてがイーシュワラの現れた姿であるというのは、一方の真実です。
何が重要かというと、カルマ・パラ、つまり行いの結果が私の手の内にないということです。
私自身についての判定を避けることがとても重要なのです。
行いは私に与えられています。しかし結果は法則によって取り計らわれます。
その法則というのは、イーシュワラです。

私は、なにか失敗したら、私はダメな人だ、と挫折を感じ、自分をジャッジしていました。

人からもそう思われるだろうし、だから失敗したくない。

失敗したくないから、何もチャレンジしたくない。

無気力でもあったと思います。

失敗したくないから、新しいことをするときに、ものすごく自分にプレッシャーをかけていました。

失敗しないように、失敗しないように。

そんなふうなので、まあ、緊張するわけです。

緊張すると、思った通りのことができなくなって、結果失敗、という悪循環。

今も新しいことは緊張するし、失敗したくない、と思いますが、

こうなるのは、「結果を出しているのは自分だ」と根強く思っているんですよね。

結果はイーシュワラからのプラサーダなのに。

今はそんな自分に気づいたら、

「私ができるのは、行いだけ。精一杯、できることはして、楽しんで、後はイーシュワラにおまかせしよう。どんな結果が返ってくるか、楽しもう」

と考え直して、自分へプレッシャーをかけないようにしています。

そして、このように自分にプレッシャーをかけてしまうのは、「自己尊厳がないから」なのです。

「自分は失敗ばかりでダメだ、ちっぽけだ。小さい存在だ。満たされてない。」

そんなふうに自分を決めているから、

うまく行った結果を手に入れて、自分はダメじゃない、たいした人間だ、と思いたいのです。

満たされてないから、何か手に入れなきゃ、何か成し遂げなきゃ。

こうやって、自分にプレッシャーをかけてたなぁと思います。

このようなプレッシャーが巨大になって、自分を苦しめるくらいになってしまったとき、どうなるでしょうか?

これができなきゃ、これを手に入れなきゃ、私はダメなんだ、幸せになれない、と思い込んだら、

「何としてもやらないと」、と更にプレッシャーをかけて、ときに倫理的に良くないことをしてでも手に入れようとします。

(願望を持つことや願望を叶えようとすることが良くないのではなく、このような願望をはらんだプレッシャーが問題なのです。)

この第9話のテーマは「ダルマ」なんですが、ダルマって訳や説明が難しいと思います。

奥が深い言葉で、様々な側面から説明する必要があるからです。

まずここでは、ダルマは倫理的に正しいこと、いわゆる「良心」を指しています。

願望をはらんだプレッシャーが、ダルマに反する、良心に反する方向に人を進ませてしまうことがあります。

私も心当たりがあります。

ダルマは、どんな人にもある、普遍的な基盤です。

どの国の人も、どの文化の人も、高度な教育を受けている人も、教育を受ける機会がない人も、大人も子供も、すべての人に共通な基盤です。

ここで例にあげているのは、誰もが「傷つけられたくない」ということです。

私が「傷つけられたくない」のは、誰かから教えられたことでしょうか?

まだ教育を受けていない子供だって、「傷つけられたくない」のは同じでしょう。

そして私が「傷つけられたくない」のと同じように、私以外の人も「傷つけられたくない」ことを知っています。

教育を受けずに知っていることであれば、それはイーシュワラの現れだし、良心はイーシュワラから与えられたものです。

人間は選ぶことができる、自由意志を与えられ、それとともに、この人類に普遍的な基盤・基準を与えられているのです。

この基準がなければ、自由意志を悪用してしまうこともあります。

自己尊厳を得るために、他の人を傷つけてまで、何かを得ようと成し遂げようとする、ダルマに反したことをしてしまうのです。

それがどれほど人間にとって大事なものを失ってしまうか、次回のお話に続きます。



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