すべてが与えられていて、与える人がいるはず

月1回のヴェーダーンタ勉強会、スワミ・ダヤーナンダジ(私の先生、スワミ・チェータナーナンダジの先生)のテレビ番組「スピリチュアル・ヘリテージ」の日本語訳をみんなで読んでいます。

私個人の振り返りと、整理のために、ブログに思ったことを書いていこうと思います。

第4話では、行いと行いの結果つながりを見てきました。

私たちは、行いは選べるけれども、行いの結果に関しては、与えられるものであって、結果は選べないのです。

良い結果を期待して、行いをするけれども、思い通りに行くこともあれば、行かないことも多々あります。結果は選べません。結果は与えられているのです。

与えられている結果と同様に、私たちはすべてが与えれらている、ということで第4話が終わりました。

第5話は、「与えられている物をよく見てみる」です。

私たちが「与えられているもの」を、よーく見ていくと、

まず私たちの身体。

自分のものとして扱っているこの身体も、自分が作ったのではありません。

材料を与えられても作れないし、身体を維持することも、私の力ではできません。

身体を維持するための空気が与えられ、食べ物が与えられています。

感覚器官も与えれれ、考える力も与えられて、身体を動かす力も与えられています。

行いと行いの結果に繋がりがあることも理解できて、これをしたら、こういう結果になるだろうという、ある程度見通す能力も与えられています。

この地球も、宇宙も与えられています。

「自分で手に入れた」と思っていることだって、本当にそうでしょうか?

何かしら少しの努力は自分で行ったでしょうが、機会や能力も与えられているものです。

すべて与えられています。

行いの結果は、すべて自分で手に入れた、と言うなら、いつも良い結果になっているはずですよね?

人生、もっとうまいこと行ってますよ(笑)

そして、与えられたものを、私たちの身体を含め、周りのものを見渡してみると、すべてが組み合わされているものだとわかります。

この身体も、様々な成分から身体が作られています。

身体機能も感覚器官も組み合わせれて、ひとりの人間の身体となっています。

この身体は、偶然このように作らているのでしょうか?

以前、先生が顔のパーツについてお話してくれました。

目が顔の後ろにあったら?口が頭の上にあったら?

目は前にあって、耳は横についていて、口の上の鼻があって、なんて機能的で、完全な設計なのでしょうか。

人間だけに限りません。

他の動物も、人間と同様の秩序・法則によってデザインされています。

他の生き物も、この自然、地球の環境も、そしてそれらすべてを含む宇宙も。

すべてを知り尽くしている人が、作者がいるはずです。

花ひとつとっても、そうですよね。

花びらの形、葉の形、色、、、無意味にこの形、色なのでしょうか?ひとりでに、ゆりは咲くのでしょうか?

そんなはずないですよね。

こんなに見事な花を設計し、咲かせている、この世界を設計し、現れている、作者がいるはずです。

私たちの身体を含めて、作者がいて、与える人がいるはずです。

そういった人(作者・与える人)がいないと言うなら、時計やカメラのような組み合わされたものも、作者がいない、製造されたものではないということを証明しなければなりません。


この作者・与える人のことを、神と呼んでいます。

その神は、どこにいるのでしょう?

どこか上の方?

インドでは、いたるところにあると言います。

「どこにいるのか?」と質問すること自体、神はここにはいない前提の質問なのだそうです。

「神とはなにか?」が次の話題です。

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