役割への執着を手放す
こんにちは。
「やさしいヨガと出会う場所ーSugandha 蓮沼・蒲田/横浜 ヨガ教室、パーソナルヨガ」 emiです。
緊急事態宣言解除へと向かっていますが、いかがお過ごしでしょうか?
クラスでみなさんと軽くおしゃべりしていますが、「もう電車に乗れない」「会社に行く気がしない」という方も。
私も、満員電車に乗るのはしんどいですし、徐々に体力と生活のリズムを戻さなければ、と思っています。
緊急事態宣言が出される前から、外出自粛が言われるようになり、ヨガクラスは3月下旬からお休みして、Sugandha、manikayoga、プライベートヨガもzoomでのオンラインクラスを開催しています。
そんな中、ヴェーダーンタを学んでいてよかったな、と思ったことがありました。
「講師紹介」にも書きましたが、私はヨガが大好きで、好きなことをしたくてインストラクターになりました。
インストラクターになるにも、人前に出るという最も苦手なことにチャレンジして、やっとモノになって、気がついたら13年。
ヨガを学び、伝えることが私の人生で、それは私そのもの。「私=ヨガの講師」という役割が私のアイデンティティになっているところがあるのです。
そういう生き方をしたかったし、喜びでもあるのですが。
しかし、それは違っていて、「私=役割」と勘違いすると苦しいことになるとヴェーダーンタで学びました。
どういうことかというと、「私=ヨガの講師」と強く思っていると、今回のように、クラスができなくなると、私は必要とされていない、価値がないように勘違いして、悲しい気落ちになるのです。
正直、今回ちょっとそんなふうに思ってしまったのですが、「いやいや、違う」とすぐに気が付きました。
みなさんも、そんなふうに思うことありませんか?仕事をしていないと自分じゃないとか、成果を上げていないと自分には価値がないとか、良い母親じゃないと私はダメだとか。
まず理解したいことは、社会の中で、人との関わりの中で、私達はある役割を担いますが、「私は役割」ではない、ということです。
その役割がなくなったら、自分の価値がなくなるのではないのです。
そしてその役割は、ひとつではなく、状況によって変わります。
ヨガのクラスでは、私は先生になることもあれば、受けるときは生徒だし、母の前では娘の役割、上司の前では部下になります。
ヨガの講師も役割のひとつです。今私に与えられているひとつの役割です。
そして永遠に続くものではありません。いつか終わりが来ます。状況によって、手放すときもあるでしょう。
「役割が私」と思うことで、良いところもあります。
責任感を持って役割をまっとうすることができるとか。
しかし「役割が私」と思うことで、勘違いから自分が苦しくなります。
今回の私のように、その役割がなくなった時に、自分が存在価値なくなるような気持ちになること。
そして、周囲の人に押し付けてしまうことが出てきてしまいます。
極端に言うと、「私が先生なんだから、私の言うことを聞きなさい」的な態度や言動になったりします。
(これって相手にも自分にも良くないなー、と自分にも心当たりがあるので、本当に気をつけたいところです)
今回の新型コロナのことで、あらためて自分のヨガを伝えるという役割について考えさせられました。
今までこの役割を与えられて、本当にありがたかったこと。
自分はまだこの役割に執着があって、この役割がなくなったら悲しいけれど、この役割が終わったら、きっとまた違う役割が与えられるだろうと自然と理解できました。
どのような役割を与えられても、日々学んでいくだけです。
そしてもし、この役割がまだ与えられるなら、気持ちをあらたにさらに大事にしよう、精一杯やろうと思いました。
その気持から、スタジオでクラスができなくても、オンラインでやろうと気持ちを切り替えることができたのです。
今の状況で、お仕事や自分の役割がなくなってしまって、自分には価値がないと思っている人がいるなら、そうじゃないことを知ってほしいな、と思っています。
私達それぞれが、与えられた環境で、楽しみながら学んでいきましょう!