相手を幸せにしようとする努力が、相手を幸せにする
月1回のヴェーダーンタ勉強会、スワミ・ダヤーナンダジ(私の先生、スワミ・チェータナーナンダジの先生)のテレビ番組「スピリチュアル・ヘリテージ」の日本語訳をみんなで読んでいます。
私個人の振り返りと、整理のために、ブログに思ったことを書いていこうと思います。
前回のおさらいを簡単に。
人生を生きると言う事は、世界と関わりを持つこと。
私たちは、役割を通して世界と関わっています。
そしてその役割は、自分の過去の行いによって与えられています。
職業上の役割、 父親・母親・息子・娘としての家族での役割もそうです。
特に重要なのは、お母さんの役割です。
一貫してお母さんが子供のそばにいることで、自己尊厳の土台となる安心を与えることができます。
自己尊厳のなさから、 人生での様々な問題が生じることを考えると、
最も重要な役割は、子供に安心を与えるお母さんの役割です。
女性が尊敬され、大切にされている国や文化に反映があると言われています。
家族みんなが、 お互いの役割を尊敬する家庭が必要なのです。
お互いの役割とは、 お互いを幸せにすることです。
自分の役割を果たすことで相手を幸せにするのです。
大事なのは役割、義務を果たすことであって、権利を主張することではありません。
両親が子供への義務を果たすことで、子供は子供としての権利を得ます。
子供が両親への義務を果たすことで、両親は両親としての権利を得ます。
お互いに義務を果たしあうことで、お互いの権利を叶えるのです。
そして今回は、第29話「義務と権利」です。
ここでまたおさらいです。
人間には自意識があり、自分の行いを選択できる自由意志が与えられています。
その選択の基準となる、良い悪いのセンス(サーマンニャ・ダルマ)も与えられています。
サーマンニャ・ダルマは、 すべての人に与えられた、まさに神に与えられたセンスです。
自分が他の人に期待する振る舞い方は、他の人が自分に期待する振る舞い方と同じです。
私が傷つけられたくないのと同じように、他の人も傷つけられたくありません。
サーマンニャ・ダルマが、振る舞い方の基準となるのです。
サーマンニャ・ダルマ と言う基準の上に、個人個人の役割(スヴァ・カルマ)があります。
それぞれが置かれた状況によって果たす義務です。
それはサーマンニャ・ダルマに反しないようにしなければなりません。
例えば、マネージャーと言う役割を与えられているなら、
ごまかしたり嘘をついたりと言うようなアダルマを避けて、
サーマンニャ・ダルマに沿って義務を果たす必要があります。
ですから、私たちの文化では、この義務が重要視されます。
権利は重要視されません。
私が義務を果たす時、他の人への権利にはしかるべくして叶います。
スピリチュアルヘリテージ
そして他の人が私に対する義務を果たすなら、私は権利を得ます。
私は従業員としての義務を果たします。
そして、雇い主が彼の義務を果たすなら、私が従業員としての権利を得ます。
前回も言われましたが、 互いの義務を果たし合うことで、お互いの権利を叶えることができるのです。
自分に与えられた義務を果たすことは自己成長につながり、相手の権利を叶えることになります。
自分も相手もハッピーな関わり方です。
義務が重要視されていれば、他の人を幸せにするのが私の義務なのです。
夫の義務は、妻を幸せにすること。妻の義務は夫を幸せにすること。
親の義務は子供を幸せにすること。子供の義務は親を幸せにすること。
雇い主の義務は社員を幸せにすること。 社員の義務は、雇い主や同僚を幸せにすること。
ですから、妻に対しての夫の義務は彼女を幸せにすることですし、夫に対しても彼女の義務は、彼を幸せにすることです。
スピリチュアルヘリテージ
誰かを幸せにすると言うのは難しいことです。
ですから、努力があるのです。幸せにしようと言う努力があるのです。
その努力が相手にわかるのです。努力は理解を生むのです。
誰かを幸せにできることなのではなくて、その努力が相手を幸せにするのです。
なぜならそれが心からの努力だからです。そこに美しさがあります。
ですから、すべての努力は成功である必要はありません。
相手を幸せにしようとする試みをする側の、まさにその努力そのものが、相手にわかるのです。
それが相手を幸せにするのです。それが本当のことなのです。
この第30話で、もっとも私の心を掴んだ言葉です。
これは夫婦に限らず、家族、同僚、他の関係でも同じですよね。
こんなふうにできたら、どんなに暮らしやすいだろうかと思いませんか?
周りの人を幸せにすることが自分の義務だと理解できれば、
義務を強制されるプレッシャーやストレスなく、主体的に、喜びを持って努力できます。
でもそんなこと、うまくいかないだろうと思いますよね。
確かに、ある時ある場所で、誰かが義務を果たさないことから、権利を求める声が大きくなっています。
自分の権利を主張しないと叶えられない、
だからもっともっと主張し続けなければいけない、そんな状況です。
自分が義務を果たしたとしても、みんなが義務を果たしてお互いの権利を叶えるかどうか信用できません。
この状況で、私たちはどうするべきでしょうか?
義務と権利、どちらかを重要視することではありません。
自分の義務を果たすことも重要ですが、一方で相手の権利を重要視することも必要だと言われています。
私たち(インドの人々)は過渡期にいます。
スピリチュアルヘリテージ
なぜなら、私たちは義務を果たすことで成り立つ国から、権利を要求する国に移行しているのです。
(中略)
ですから、私が言っているのは、もう一度、義務の重要性を理解することと、
同時にもちろん、「権利」と言う言葉に敬意を払うと言うこと なのですなのです。
つまり、他の人の権利なのです。
私たちは他の人の権利に注意を払わなければなりません。
それでこそ私たちは自分の義務を適切に行うことができるのです。
日本もインドと同じように、権利を要求する国に移行しているか、すでに権利を要求する国になっているかもしれません。
それでも、「自分の義務を果たすことで、相手の権利を叶えているかどうか」
そういう視点を持つことが、ダルマに沿った生き方になると思います。
正直、そういう視点で考えたことはありませんでしたが、
重要なことだとあらためて思いましたし、努力していきたいです。
次回も役割についてのお話です。