自己尊厳を持つために重要な母親としての役割
月1回のヴェーダーンタ勉強会、スワミ・ダヤーナンダジ(私の先生、スワミ・チェータナーナンダジの先生)のテレビ番組「スピリチュアル・ヘリテージ」の日本語訳をみんなで読んでいます。
私個人の振り返りと、整理のために、ブログに思ったことを書いていこうと思います。
前回のおさらいを簡単に。
人生を生きると言う事は、世界と関わりを持つことと言われました。
関わることを分析すると、関わる人である私と、関わる対象に分けることができます。
関わることとは、関わる対象に対する反応のことです。
関わる対象は、常に移り変わりますが、私は変わりません。
例えば、母親の前で私は娘であり、妹の前で私は姉であり、上司の前で私は部下です。
移り変わる状況に合わせて、役割は変わります。
しかし私は変わらない人です。
私たちの生活で起こる問題は、その関わりの中で生まれています。
関わりを避けることができないので、間違った関わり方ではなく、適切な関わり方をする必要があります。
変わらない私と、移り変わる役割との識別ができていれば、
言い換えると、自分自身と役割の識別ができて、役割を演じていることを知っていれば、
主観的な見方から起こる混乱、間違った関わり方を避けることができるでしょう。
そして今回は、第28話「 人生における女性の役割」です。
さまざまに移り変わる状況によって、役割は変わりますが、私は変わらない人。
前回、関わりと役割について見てきました。
私は基本の人、様々な役割を装いながら、気づいている存在、意識的な人です。
こうして、あなたは異なった身分を装います。
スピリチュアルヘリテージ
私たちの言うこの身分は、物事の体系の中であなたが演じる役割なのです。
物事の体系とは、イーシュワラの現れた世界です。
この体系の中で、あなたが演じている役割は、あなたが演じる担当なのです。
ですから、すべては与えられています。
すべては与えられています、すべての役割は与えられています。
本当にそうでしょうか。
この父と母のもとに生まれて、息子や娘の役割を与えられました。
それに選択はありませんでした。
では、自分の職業、結婚やパートナー、子供に関して、自由な選択に見えていても、カルマの法則によって与えられたものです。
私の過去の行いの結果として与えられました。
私が言っている事は、この役目が私たちが理解する大切なことなのです。
スピリチュアルヘリテージ
私たち皆が役割を演じているのです。
異なる役目なのです。
お母さんというのがいうのは、あなたが演じる役目なのです。
誰かの命にとってとても重要な役目なのです。
それは並大抵な役割ではありません。
最も重要な役目がお母さんと言う役割なのです。
ですからそれが理由で、女性が尊敬され大切にされている国ではどこでも、 シュリー、ラクシュミー、
つまり富と繁栄があるのです。
女性の役割、お母さんと言う役割の重要性が言われました。
首尾一貫したお母さんも子供のお世話が重要だと言うことを言う事は以前にも言われていました。
お母さんまたはお母さん代わりの人から、いつも周りにいて面倒を見てもらうことで、子供は安心を得ます。
その安心は己尊厳の土台になるものです。
お母さんがいる、 機能している家庭が必要なのです。
家族全員がお互いを、お互いの役割を尊敬しあっている家庭が必要です。
そしてインドでは、役割についてを述べた台本が受け継がれてきました。
男性は、父であるために何をするべきか、女性は母であるために何をするべきか。
お互いの役割は、お互いを幸せにすることです。
ですから、私たちの社会を見るなら、強調されている唯一のことがあります。
スピリチュアルヘリテージ
強調されているのは義務であって、権利ではありません。
もし義務が果たされるなら、権利は自動的に叶います。
もしお父さんが彼の義務を果たすなら、子供は子供の権利であることを得ます。
両親が義務を満たすなら子供は権利であるすべてのことを得ますし、子供が両親に対する義務を果たすなら、両親は権利であることを得ます。
お互いが義務を果たし合うことで、お互いの権利であることができる。
権利ではなく義務を最優先する社会では、好き嫌いでコントロールされるのではなく、自分で自分をコントロールすることができます。
次回はこの義務と権利についてのお話です。