「私の命」は誰のもの?
こんにちは。
「やさしいヨガと出会う場所ーSugandha 蓮沼・蒲田/横浜ヨガ教室、プライベート・パーソナルヨガ」 emiです。
先週、ちょっとショックなニュースがありました。
ある人気の俳優さんが、自ら死を選んだことです。
なんとも言えない、むなしい、悲しい気持ちになりました。
なぜ彼はその選択をしたのか、明らかになることはないでしょうが、彼にはそうせざるを得ない背景があったのでしょうね。
せめて安らかにと思います。
このようなニュースに接して、自分の考えが大きく変わったことに気が付きました。
今日はそのことを書いてみます。
自ら死を選ぶことは、あり?なし?
みなさんは、自ら死を選ぶことはありですか?なしですか?
なかなか難しい問題ですよね。
自分以外の人の選択はその人に任せるとして、自分自身の選択としてはどう思いますか?
以前の私は、自ら死を選ぶ選択はありだと思っていました。
私自身、とてもつらかった時、「死んでしまったら、楽になるのかな」という考えがちょっと頭をよぎったことがあります。
辛く苦しい時、視野が狭く客観的になれなくて、その選択しかないと思い込んでしまったら、そうするでしょう。
私にとっても、その人にとっても、それが救いになるなら、その人の選択を尊重するしかないし、それで良いのではないかと思っていました。
今でも、他の方の選択は尊重する、ということは変わりませんが、自分自身は、もうその選択はできないと考えるようになっていました。
明らかに、ヴェーダーンタを学んでから、考えが変わりました。
私の体・命は誰のもの?
ひとつは、体は私のものなのだろうか、そしてこの体を終わらせることは私の権限でできるものなのか、という観点からです。
ヴェーダーンタで、「私とは何か、世界とは何か」を学んでいく中で、「私」という概念の定義を再構築させられます。
「私って体?」
「それとも気分や感情?考え?」
(「体や考えじゃなかったら、何なの?」というのは一言で説明できないので、省略します。)
「私の体、って言うけど、私は体の材料を与えられても作ることなどできないし、生理機能は私が動かしているとは思ってない」
(自分で直接コントロールできる生理機能は呼吸くらい、それも限定的に。)
体は「私のもの」なんて、とてもじゃないけど言えません。
すべて与えられたものです。
それを今、私が預かって使わせてもらっているだけです。
スワミジは、「私は体や考えのマネージャー」と仰っていました。
それを自分の都合で、体の機能を停止させることはしたくないと思います。
痛みを与えない・傷つけないこと
ヴェーダーンタ、ヨーガもですが、できる限り「傷つけない」という価値観を大事にしています。
私も含め、この世界のありとあらゆるものの存在を大切にしたいので、できるだけヒムサな(傷つける・痛みを与える)ことはしたくないのです。
私以外の人に痛みを与えないように、私にも痛みを与えないことも大事だと思っています。
行いと行いの結果の法則
そしてもう一つ、行いと行いの結果の法則からの観点です。
自分の行い(選択)の結果は、必ず返ってくる。
結果がどのように実るか、私にはわからないけれど、すべてイーシュワラ(神)から与えられた実りです。
私がかつて生きた人生で行った、膨大な数の行いの結果の中から、一部が実って、今の人生が始まりました。
始まったときに、この人生で私が経験する行いの結果は、良いことも良くないこともある程度決まっています。
すべて経験したら(解消したら)、この肉体を手放して、次の世界へ旅に出ると言われています。
(もちろん、この人生でのあらたな行いで、結果を変えることはできます。)
自分が引き受けるべき結果を受け取らず、この人生を終わらせても、いつかまたこの結果を受取る時が来ます。
そして自ら死を選ぶことは、イーシュワラから与えられた結果を思いっきり拒否することになると思うのです。
死を選択したことの結果を、その後の人生で受け取ることにもなるのですから。
絶望したとしても
もっと考えたら、他にも理由は出てきそうですが、以上のことから、私はもう、自ら死を選ぶことはできないな、と思っています。
正直に言って、以前は「どうしようもなくなったら、最悪死という選択もある」と逃げていたところがあります。
もうそれはできません。
ものすごく厳しい状況、例えば、重い病気で余命数ヶ月だとか、大切な人とのお別れとか、経済的な苦境や、傷つくようなこととかがあれば、
当然、落ち込むでしょう。絶望するでしょう。
「なぜこんな目に合うの!」と嘆き悲しむでしょう。
それでも、私は自分の行いの結果を受け入れていくしかないと覚悟をしています。
辛い結果でも、そこから何か学びがあると信じています。
そして客観的になれれば、誰もが辛い結果を乗り越える力があると思います。
だから辛いときは、自分を労って、周りの人にも助けてもらって。
あなたにとって大切な人の命と同じように、あなたの命も大切にして欲しいです。