上手に世界と関わるために必要な見方
月1回のヴェーダーンタ勉強会、スワミ・ダヤーナンダジ(私の先生、スワミ・チェータナーナンダジの先生)のテレビ番組「スピリチュアル・ヘリテージ」の日本語訳をみんなで読んでいます。
私個人の振り返りと、整理のために、ブログに思ったことを書いていこうと思います。
前回も感情のお話でした。
「嫉妬」という感情も、原因があって現れているし、その感情も神の現れです。
そして嫉妬はの原因は、自己尊厳の低さ、安心のなさが原因です。
自己尊厳が低いことにも原因があって、それも法則・イーシュワラの現れなのです。
このように客観的に物事を見ることができれば、
「私=嫉妬」というように、感情と自分自身が一緒になってしまうことなく、
自分自身と感情との距離ができます。
物事の背景にあるイーシュワラの存在を見ることが客観的な見方になるのです。
ダヤーナンダジは、これをスピリチュアルな実用主義と呼んでいます。
客観的であるために、イーシュワラを生活に持ち込むことが大切だと言われています。
イーシュワラまで含めての客観性が大事なんですね。
そして今回は、第27話「その人とその役割」です。
この「スピリチュアル・ヘリテージ」の冒頭、生きることが人生のゴールだと言われました。
私の人生を生きるために、人生の真実を知ることが必要です。
真実とは、イーシュワラ。
イーシュワラを人生に持ち込むために、「生きていることは何か?」の真実に気づいている必要があります。
人生を生きるということは、どういうことなのでしょう?
生きるということは、世界と関係を持っているということです。
スピリチュアルヘリテージ
関わることなしに、あなたはあなたの人生を生きることができません。
あなたは何かと関わらなければなりません。
関わりを持つことが、あなたの人生を生きることなのです。
関わらないなら、あなたは生きますが、あなたの人生を生きていません。
人生を生きるということは、関わりを持つこと。
言われてみれば確かに、と思いますよね。
関わりを避けて生きることができませんが、関わることで様々な問題が生じるので、関わりを避けようととしますよね。
しかしインドの文化では、関わる事は問題ではなく、 間違った関わり方が問題なのです。
さらに関わることをよく分析すると、
関わっている人=私
と
私が関わっているもの
の2つの要素があります。
私が主体で、関わっているものが対象、とも言えますね。
毎日毎日、私たちは様々な人や状況と関わりを持ちます。
つまり、人生を生きると言う事は、関わることであり、その関わる対象への反応のことなのです。
人との関わりだけでなく、様々な状況に関わること、感覚器官を通して世界と関わり、反応することは避けられません。
問題は、客観的な見方ができず、主観的な見方から間違った反応をすることなのです。
私たちは、好き嫌いなど、 自分自身の解釈を加えて、 主観的に物事を見る傾向があります。
私が何を言っているのかと言うと、私が対象物を客観的に見ていないのです。
スピリチュアルヘリテージ
私は私自身の主観的な見方で対象物を見ています。
何も悪いことではありません。
また、正しいと言うことではありません。
それが私たちなのです。
ですから、この世界という体系の中で、あなたが向かい合う最も重要な人は、あなたなのです。
他の誰かではありません。
個人としての私たちは、100%客観的に物事を見ることができません。
どうしても主観的な見方が入ってしまいます。
それは良い悪いではなく、そういうものなのです。
だからこそ、大事なのは、まず自分自身です。
それは自己中心的でわがままと言うことではなく、
移り変わる状況の中で、関わりながらも変わらず変わることのない私、
と言う視点が大事になります。
それが客観的な見方です。
例えば、 母の前では私は娘です。妹の前では私は姉です。上司の前では私は部下です。
移り変わる状況の中で、役割が変わります。
それと同時に、私は変わっていません。
ダヤーナンダジがおっしゃるように、私は変わっていないけれども、 状況に合わせて異なる帽子をかぶるようなものです。
帽子が変わっても、私は変わらない人なのです。
このように、変わらないわ私と、移り変わる役割との識別が客観的な見方に必要になります。
自分自身と役割の識別ができて、役割を演じていることを知っていれば、
主観的な見方から起こる混乱、間違った関わり方を避けることができるでしょう。
例えばですが、会社員時代の私は、部下でもあり、上司ではありましたが、
自分の役割を正しく識別できていなかったところがありました。
好き嫌いなどの主観的な見方で反応したことから、
混乱を生み出し、ストレスを抱えていたと思います。
あの時、自分の役割を認識できていたら、もっと楽しく働くことができたかもしれない、
そしてもっと成果をあげることもできたかもしれないと思うのです。
次回も役割のお話が続きます。