「すべき事」が「好きな事」という生き方

月1回のヴェーダーンタ勉強会、スワミ・ダヤーナンダジ(私の先生、スワミ・チェータナーナンダジの先生)のテレビ番組「スピリチュアル・ヘリテージ」の日本語訳をみんなで読んでいます。

私個人の振り返りと、整理のために、ブログに思ったことを書いていこうと思います。

前回は、心理学という窓を通して、全体であるイーシュワラを捉えていきました。

私たちの気分や感情は、何の秩序もなく、私の中だけで完結して、私固有のもののように捉えがちですが、気分や感情も、秩序法則の中で現れています。

イーシュワラの現れとして、秩序・法則として。

どのような気分や感情も、心理の法則の中で起こっていることで、法則の外にあるのではありません。

怒りや嫌悪などの感情も、法則の中で起こっています。

怒りや嫌悪などの緩徐は、避けたいですし、ない方がいいと思いがちですが、それさえもイーシュワラの現れです。

避けたい感情も、イーシュワラとしてお迎えしなさい、ウェルカムしなさい、と言われます。

恐れをウェルカムしていたら、上手に怒りを扱うことができます。

怒りという感情が問題なのではなく、怒りに任せて他の人やものを傷つけて、犠牲にすることが問題なのです。

そして今回は、第23話「ダルマは人間の探しているゴール」です。

物理学・生物学・医学、そして心理学と、さまざまな側面でのイーシュワラの現れを見てきました。

そして最も重要なイーシュワラの現れは、善悪の秩序・ダルマです。

何が正しいか間違っているか、適切か適切でないかにある秩序です。

以前にもありましたが、人間の成功とは、自己尊厳を持つことであり、

自己尊厳を保つためには、ダルマ・善悪の秩序との調和が必要なのです。


共感や思いやりを持って、援助の手を差し伸べられたとき、イーシュワラとの、ダルマとの調和があります。

困っている人に何か少しでも自分ができたとき、喜びの感情が湧き上がります。

それが生きる喜びで、人間の成長だと言われています。

ですが、未熟な私は、自分の安心(アルタ)や喜び(カーマ)を優先して、ダルマに価値を見出せないこともありました。

今でも全てダルマを選べているかというと、まだまだですが。

自分のことで精一杯なのに、人に与えるのは、自分が損するような気がしていたし、損することは自分の安全が損なわれるように思っていました。

何かを得ることが、安心を得ることだと思っていたし、喜びを感じる体験をすることが、自己評価に繋がっていると思っていました。

もちろん、誰もが安心と喜びを求めています。

それは全く問題ありません。

生きている中で起こる様々な願望も、野心を持つこともそれは全然構わないのです。

何しろ、モークシャ(私こそがイーシュワラ、という理解・自己受容)を求めるのは、最も大きな野心と言われているのですから。

問題なのは、願望を叶えるために、ダルマという善悪の基準に反することをしてしまうことです。

たとえそれが法律に違反していなくても。

なぜならダルマは独立した価値なので、安心・喜びの後にあるのではないからです。

ダルマがあっての安心と喜びなのです。

ダルマよりも、安心や喜びを優先するなら、ダルマに反することすることに躊躇いもなくなるでしょう。

ダルマが価値なのです。まさにそれが価値あるものなのです。

それが成し遂げられねばならないゴールなのです。

もしそれが成し遂げられるべきゴールなら、私は生涯を通してそれに向けて働きます。

それを成し遂げることは簡単ではありません。

なぜなら、以前お話ししたように、人には好き嫌いの考えに従う習性があるからです。

スピリチュアルヘリテージ

そうなんですよね、ダルマが大事だと言いながら、

やった方がいいことだけどしたくないからしない、すべきでないことが好きでしてしまう、

というようなことが日々の生活でたくさんあります。

ダルマではなく、好き嫌いで自動的に選んでいるのです。

それを変えるのは、簡単ではないですよね。

実際、人の成長というのは、私が好きなことをするときにはなくて、私がしていることを愛する中にあるのです。

知り得るどのような物事にでも、私はそれに愛を見つけなければなりません。

そして、人が自分自身の尊厳を持っているとき、どのような事にも愛を見つけるでしょう。

こうしてたいていの場合、している事は、しなければならない事となります。

あなたが成長すればするほど、選択はますます少なくなってゆきます。

成長があればあるほど、あなたの選択は少なくなります。

あなたはしていることを楽しみます。

ですから、ダルマは特別なゴールで、プルシャ・アルタなのです

スピリチュアルヘリテージ

人としての成長とは、自己尊厳を持つことであり、ダルマとの調和があることで、ということは、

「している事が(好きな事)」が「しなければならない事」になります。

好きな事とすべき事が一致して、好きでない事としてはいけない事が一致するので、

好きなことを選ぶ以外ない、選択がなくなるのです。

そしてそれがまた、自己尊厳にもなります。


生きている中で、母としての私、妻としての私、娘としての私、組織の一員としての私、市民として、国民として、地球に生きるひとりとしての私、、、、

それぞれの役割で、しなければならないこと、期待されていることがあります。

それを、スヴァ・カルマ、スヴァ・ダルマ、英語ではduty義務と言います。

私がすべきことを愛すること、それが成長であり、成功です。


次回は続いてダルマのお話をさらに進みます。