祈りの種類と効果
月1回のヴェーダーンタ勉強会、スワミ・ダヤーナンダジ(私の先生、スワミ・チェータナーナンダジの先生)のテレビ番組「スピリチュアル・ヘリテージ」の日本語訳をみんなで読んでいます。
私個人の振り返りと、整理のために、ブログに思ったことを書いていこうと思います。
「自分はどこか満たされていない」
そのような感覚を持って生きている私たち。
自己尊厳を持ち、完全に自分を受け入れることができればよいのですが、簡単ではありません。
自己尊厳を持つためには、成功した感覚が必要で、
成功した感覚を得るには、ダルマ(調和)を選ぶ生き方をすることが必要です。
ダルマとは、周りとの調和、倫理的に正しいこと、傷つけないこと。
ダルマを選ぶ生き方をするには、自分自身の力(アートマ・バラン)を強化する必要があります。
そのための内側の助けが、与えることと祈ること。
前回は祈りについてみてきました。
祈りも行いなので、他の行いのように結果を受け取ります。
ドリシュタ・パラ(目に見える・体験できる結果)と、アドリシュタ・パラ(目に見えない、後に体験する結果)です。
私たちの日々の行いは、何かしらのプレッシャーを受けて選択していると言われています。
私自身を振り返っても、本当にそうです。
何か選ぶとき、自分の過去の経験や好き嫌い、他の人の目を気にしたり、完全に自由に選ぶことはとても難しいです。
ただひとつ、祈りだけが、自分で完全に選ぶことができる行いです。
祈ることもできるし、祈らないこともできる。
祈らなくても、誰も咎めませんが、祈ることを選ぶ。
それが自由意志を強化する、選択する練習になります。
今回の第13話は、「祈りの効果」です。
私は何度かインドに行って、学ぶ機会を与えてもらいましたが、
インドでは至るところにテンプルがあり、儀式を行っていて、祈りがあります。
日常の中に、こんなにも儀式が組み込まれていることに驚きました。
ヴェーダで伝わる儀式を大事にしているのです。
この儀式という祈りは、イーシュワラの理解から生まれています。
この世界に現れているものすべてがイーシュワラの現れであるので、
現れたすべてのものにイーシュワラを祈ることができるのです。
この祈りが最もアドリシュタを作るカルマなのです。
この祈りのカルマができないなら、あなたは逃してしまいます。損をします。
イーシュワラを間違って理解しているのですから。
イーシュワラは現れたすべてのものの、知的な源・物質的な源です。
この世界の空間さえ、イーシュワラが源となって生まれています。
風・火・水・土も空間があってこそ。
私たちの体も、イーシュワラから現れています。
しかしイーシュワラは、私の体として現れているけれど、イーシュワラの姿かたちはありません。
姿かたちのないイーシュワラを想うことは、難しいけれども、
世界の空間として現れたイーシュワラ、私の体として現れたイーシュワラを想うことはできます。
空間からイーシュワラを呼び起こし、私の体からイーシュワラを呼び起こすことができます。
テンプルの祭壇には、デーヴァター(イーシュワラのある側面として現れた神)の像が祀られています。
私たちは、鉄や木や土でできた像に祈っているのではありませんよね。
その像を通して、イーシュワラを呼び起こし、祈っています。
日本の神社もそうですよね。
御神体の岩や山に祈っていますが、岩や山を通して、神に祈っています。
偶像に祈っているのはイマジネーションだという意見がありますが、そうではありません。
ガネーシャやシヴァの像を通して、イーシュワラを呼び起こして祈っているのです。
それは「真実の見方を思い出していること」だとスワミジが仰っていましたが、
現れた世界の中で、日々バタバタとしていると、全てがイーシュワラだという見方を忘れてしまいますが、それを思い出すのです。
祈りという行いには3つのレベルがあります。
カーイカカルマ、手足を使い、言葉・話す機能を使い、考えを使う行い。
ワーチカカルマ、言葉・話す機能を使い、考えを使う行い。
マーナサカルマ、考えを使う行い。
儀式は、ワーチカカルマです。
儀式のための準備、道具を含み、手足という体を使い、言葉を使い、考えを使います。
正しいステップに沿って行うものです。
ワーチカカルマは、チャンティングなど、マーナサカルマは瞑想です。
より多くアドリシュタパラを作るのは、カーイカカルマ、儀式です。
次回も祈りについて続きます。