上手く行かないとき、どのように受け入れるか
月1回のヴェーダーンタ勉強会、スワミ・ダヤーナンダジ(私の先生、スワミ・チェータナーナンダジの先生)のテレビ番組「スピリチュアル・ヘリテージ」の日本語訳をみんなで読んでいます。
私個人の振り返りと、整理のために、ブログに思ったことを書いていこうと思います。
第6話、第7話では、「神イーシュワラとは何か?」を見てきました。
この世界を作り、世界として現れている神。
全知全能で、私たちにすべてを与えている人。
それを理解した上で、行いの結果をどのように受け取るのか、第8話は「健全な態度」です。
以前のお話の振り返りにもなりますが、私たちの願望も、神からの恩恵だと言われました。
その願望を叶えるのか、退けるのか、その選択は私たちにあります。
叶えるならば、どのような手段を用いて叶えるのか、手段を選ぶことも私たちはできます。
そして、その手段(行い)と、行いの結果の繋がり(法則)も、神から与えられていて、これをしたら、こうなるだろうというある程度の見通しを立てる能力も与えられています。
適切な手段を選び、それを行ったとしても、結果は必ず望んだものが返ってくるわけではありませんね。
結果は、望んだ通り、望んだ以上、望んだ以下、望んだ正反対(思いもしない良くない結果)が与えられます。
そして、望んだ通り、望んだ以上にうまくいくことは少なかったりします。
望んだ以下、望んだ正反対の結果が返ってきたときに、どのような態度で受け取るのか、それを理解して実践することが、自己尊厳を持つために必要だと言われています。
「思ったように結果が得られなくて、がっかりするなら、最初から結果を期待しなければいい」
そんなふうに思うこともあるかもしれません。
しかし、行いをするということは、必ず何かを期待して、願望をもって行っているので、結果を期待しないでいられないのです。
私は望んだ以下の結果が返ってきたとき、想像以上に良くない結果で、ショックを受けたとき、このように受け取っていました。
「こんなの嫌だ!」「なんとかして変えたい!」
現実を受け入れられず、なんとか望みが繋がらないか、悩み苦しみ、あれこれと考え、行動してみたり。
いわゆる悪あがきです。このような状況で悪あがきしても、その結果は更に良くないことが多い気がます(笑)。
「ショックすぎて、何もする気が起きない」
これも現実を受け入れられない対応ですね。無気力になります。
「こんな結果になったのは、〜のせいだ!」
と周りのせいにする。または、
「自分はなんてダメなんだ。能力がないのかな」
と自己否定。自己尊厳を損なう考え方をさらに強くします。
こんな対応だったんですよね。
リアリティーは変えることはできないとはっきりと言葉にすることによって、今までの考え方にとらわれているあなたの心を開いて、(変えることのできない)リアリティーを受け入れます。
変えることができないことに対して、かつての私はどれだけ藻掻いてきたでしょう。
快くはなくても、変えられることと変えられないことを見極めて、受け入れる努力が必要です。
現実にNo!と拒否しても、反対に、無気力に受け入れることも、結果に圧倒されて、かつての私のようになるだけです。
この受け入れる態度を身につけるために、必要な理解があります。
理解があって、そこから態度を変えることができます。
それはこのような理解です。
私は行いを選び、することができます。
行いは、この世界を作り、世界として現れた神の秩序・法則(行いと行いの結果の法則)によって処理され、私に返ってきます。
すべては神の現れであり、神から離れたものはありません。法則も神の現れです。
すべては神から来たものです。
ということは、行いの結果は、神から与えられた、「贈り物・プラサーダ」です。
一見良いように見える結果も、一見悪いように見える結果も。
プラサーダという言葉のうしろにあることを、ダヤーナンダジはお話してくださっています。
糖尿病の人が、甘いお菓子を頂くとします。
甘いものを食べることができないので、普通ならお断りするところなのですが、
「このお菓子は、お寺のものです」と言われたら、
その人は、神からの贈り物、プラサーダだということを理解して、有り難く受け取るのです。
この受け取る態度、感謝の態度を「プラサーダ・ブッディー」と言います。
甘いお菓子は、何一つ変わっていないのに、プラサーダだということがわかると、受け取る人の見方が変わって、態度が変わります。
現実は変わりません。見方が変わって、態度が変わるのです。
受け入れがたい、つらい結果が返ってくることもあります。
現実を変えることはできませんが、見方を変えて、態度を変えることができます。
「プラサーダ・ブッディー」の考え方があれば、つらさや悲しみはなくならないけれども、少しは和らげたり、現実を受け入れて、そこからどのように振る舞うか、圧倒されずに対応することができて、自己尊厳を失うこともありません。
それこそ「成功」です。
「成功とは、行いの結果を上手に受け取ること」
自分の行いの結果、嬉しい・悲しい・がっかり、そんな気持ちも受け止めて、何度も何度も、私自身に戻ってこようと思います。