「こだわり」が自分を不自由にする
こんにちは。
「Sugandha 蓮沼・蒲田/横浜 ヨガ教室、出張プライベートヨガ」 emiです。
私達は誰でも、「自由」でいたいものです。何かに縛られたくはない。物理的にも、精神的にも。物理的な不自由さに比べて、精神的な不自由さは、自分でなかなか気づきにくいものだなーと思います。好き・嫌いとか、偏見や決めつけなどが、考え方を制限して、行動も制限します。
前にこんな記事を書きました。
好き嫌いの他にまた一つ、私を不自由にさせることに気が付きました。
あるお店のことをブログで書こうと思い、いろいろ考えていたんですが、そのお店のことを「○○○にこだわりのお店」と書こうとして、なんだか違和感を感じました。
「こだわり」は漢字でこう書きます。
「拘り」
漢字で「拘り」と書くと、あまり良くない意味を持っているように思いませんか?「拘」という漢字を使った言葉で思いつくのが、拘束・拘泥とか、縛られる感がありませんか。
私は今まで知らなかったのですが、「拘る、拘り」ってあまり良い意味で使われていなかったんですね。「拘り」という言葉は、辞書ではこのように説明があります。
・必要以上に気になる、気持ちがとらわれる
・文句を言う、難癖
・ひとつのことについて強い思い入れがあり、執着したりすること。近年、「こだわりの一品」というように肯定的な意味でも使われる。
(「拘り」と書くのと「こだわり」と書くので、だいぶ印象が違うんですけど。なんか印象操作されている感じがしなくもないですね。)
何かに「こだわる」って、肯定的な意味で使われていることが多くて、私もそう思ってたんですが、「拘る」ってやっぱり私達を縛るものでもあります。
「絶対にこれじゃなきゃ嫌だ!他は認めない!」
「どんな手段を使っても、何がなんでも、こうしたい!」
そのような極端な「拘り」は、そうじゃなかった時に落胆したり、ショックを受けたり、気持ちが上がったり下がったり、マインドが囚われることになりますよね。それは私の精神の自由を奪います。その拘りを、他の人にまで押し付けてしまうと、周りの人を窮屈にさせてしまいます。自分の好き嫌いはあるとしても、「そうじゃなくてもいい」と思える、マインドの軽さ・自由さを手に入れたいですね。