ドゥルパド・音の響きに身を任せる
ドゥルパド声楽家・井上想さんのコンサートに行ってきました。
場所は、阿佐ヶ谷の名曲喫茶「ヴィオロン」さんです。
入り口から独特の趣がありますね。
室内も素敵。マスターが音響にこだわって作ったそうです。
後ろにあるのは大きな蓄音機。
ランプもいい感じです。
ドゥルパドは最古の音楽と言われています。
以前インドのキャンプでご一緒したヴェーダーンタ仲間がドゥルパドを学んでいて、毎晩のサットサンガのときに唄ってくれたのですが、それはもう素晴らしくて感動しました。
それから数回ですが、コンサートに行って楽しんでいます。
私は音楽のことは詳しくないし、想さんが「わかろうとしなくていい」と仰っていたので、ただただ気持ちよく音に身を任せてみました。
ドゥルパドは不思議だなーと思うのが、
音って肉体の「耳」を通して聴いているのに、「耳」で聴いている感じがしないんです。
全身で、というか、肉体(ストゥーラ・シャリーラ)レベルではなくて、微細な体(目に見えない体ーシュークシュマ・シャリーラ)で音をキャッチしている感じなんです。
私は目に見えないものに敏感なタイプではないんですけどね。
とにかく音の響きが心地良いのです。ずっとこの音の中にいたいなぁと思います。
想さんのお話がまた面白くて、どこかヴェーダーンタとつながるところがあると思いました。
「音にインタビューする」と仰っていたのですが、ひとつひとつの音の調和を探って研究しているようです。
そして私はこのお話にもっとも心を掴まれました。
ドゥルパドで最初に教えて頂くのは、純粋な「あ」を出すことだそうです。
それに何ヶ月も、何年もかかるとか。
「大きな声を出してはいけません」とか、周りに気を使って小さい声で話すように、子供の頃言われませんでしたか?
そういった経験から、純粋な「あ」ではなく、違う音が混ざった「あ」の発音が身についてしまうのだそうです。
ヴェーダーンタの先生も、笑い方でさえ、自分を守るための癖がついている、と仰るのですが、それと同じように、一番シンプルな「あ」発音でさえ、きっと自分を守るために変わってしまったのかな、と思いました。
それは良い悪いではなくて、誰もがそうやって自分を守って生きているのではないでしょうか。
私のクラスを受けてくださった方はご存知ですが、私の声って、低いんです。
子供の頃から「声、低いんだね」、「子供らしくない声」、「女の子らしくない」と言われたり、驚かれたりしました。
なので自分の声が嫌で嫌で仕方ありませんでした。
人と話すことも嫌だったんです。
そんな私が今、ヨガのクラスをしているって、本当に不思議なんですが、やりたいことだから、仕方なく嫌な声を出していました。
しかし意外なことに、「低い声が落ち着く」という感想を頂くことがあって、やっと「私はこの声で良かったのかもしれない」と受け入れられるようになってきたんです。
今でも大きい声を出すのは苦手で、うまくできません。
この想さんのお話で、自分がこういう声なのも、声を出すことや話すことが嫌になったことも、自分を責めなくていいんだ、自分をもっと受け入れたい、と思いました。
音の響きに身を任せながら、自分のコンプレックスも、ゆらゆら溶けていくようです。
心地よい音楽、素敵な場所、心に響くお話、この場を設けてくださった皆さま、ありがとうございました。